宋名臣言行録 / 帝王学
宋名臣言行録(帝王学)の名句を、現代語訳と実践の解説つきで。全1590句。
南宋の朱熹が、北宋の名臣九十七人の言行を人物ごとに集めた本です。一条が一つの逸話で、趙普・寇準・范仲淹・欧陽脩・韓琦・富弼・司馬光・王安石・蘇軾・劉安世といった、教科書に名の出る人々が、実際の場面で何を言い、どう動いたかだけが並びます。朱熹が編んだのは『五朝名臣言行録』十巻と『三朝名臣言行録』十四巻。後に李幼武が別の百五十五人を増補して全七十五巻になりますが、師導が収めたのは朱熹の本体二十四巻だけです。この書の特徴は、名臣の巻でありながら人物を持ち上げきらないところにあります。趙普の巻は、宋の統治の骨格を作った功績の直後に「陰険で刻薄」と書き、夷を以て夷を制そうとして裏目に出た三十四字の失敗で締めます。王旦の巻は倹約の逸話を並べたあとで、樽に入った真珠を受け取って以後は封禅に異議を唱えなくなった、と記し「議者これを少とす」と減点までする。張詠は塩と米の交換で兵糧を作り、額の頭巾の痕で偽の僧を見抜く一方で、市で野菜を買った里人を笞打っている。名臣の巻に、その人が変わっていく記録が、削られずに入っています。同じ出来事が二つの出典から二条に採られていることもあります。張斉賢の十策、寇準の誕生日の宴。どちらが正しいかを決めず、伝わり方の違いごと残すのが編者の流儀です。朱熹が付けた出典注記——『涑水記聞』『聞見録』『談苑』——も一つずつ残っており、その評が誰の目を通ったものかが分かるようになっています。後集の巻十二から巻十四は、元祐の党禍がひと続きの物語になります。劉摯が四百四十字で新法の順序を突き、王巌叟は天子の怒りが収まるのを待ってまた前に出て「殿上の虎」と呼ばれ、劉安世は司馬光から「誠」の一字を、その始め方として「妄語せざるより始めよ」を受け取り、七年の流刑で一日も病まなかった。同文館の獄を記した七百五十字の一条は、私信のなかの隠語——鷹揚、当塗、粉昆、眇躬——を一語ずつ人名に置き換えて謀反を組み立てていく過程が、証拠のないまま進む様子ごと書かれています。顔が白いから「粉」、字が貺だから「昆」。その程度の連想で人が特定され、罪名が成立しました。師導では前集十巻・後集十四巻の全千二百八十一条を千五百九十の章句に収め、底本十五万五千七百五十三字の百パーセントを覆いました。底本は維基文庫の四庫全書本ですが、四部叢刊本(宋刊本の影印)を証人に立てて突き合わせ、四庫本の欠字百四十四箇所のうち五十二箇所を証人の字で埋めています。また四庫全書の編者が「虜」を「敵」「北」「彼」に書き換えた清朝の忌避字改変が四十八件見つかりました。いずれも文意は通るので底本は動かしていません。学派は「帝王学」に置いています。臣軌が臣下の側の作法=方法を説く書なら、この書はその事例だからです。