宋名臣言行録 / 後集巻五・彭思永
始就舉時貧無餘貲惟持金釧數隻棲于旅舍同舉者過之衆請出釧為翫客有墜其一于袖間者公視之不言衆莫知也皆驚求之公曰數止此耳非有失也將去袖釧者揖而舉手釧墜于地衆服公之量
新字:始就舉時貧無余貲惟持金釧数隻棲于旅舎同舉者過之衆請出釧為翫客有墜其一于袖間者公視之不言衆莫知也皆驚求之公曰数止此耳非有失也将去袖釧者揖而舉手釧墜于地衆服公之量
書き下し
始めて舉に就く時、貧しくして餘貲無し。惟だ金釧數隻を持して旅舍に棲む。同じく舉に就く者之を過ぐ。衆釧を出だして翫と爲さんことを請う。客に其の一を袖間に墜とす者有り。公之を視て言わず。衆知る莫し。皆驚きて之を求む。公曰く、數は止だ此のみ。失有るに非ずと。將に去らんとして、袖に釧ある者揖して手を舉ぐ。釧地に墜つ。衆公の量に服す。
現代語訳
はじめて科挙を受けに出たとき、貧しくて余分な財がなかった。ただ金の腕輪を数本持って旅宿に泊まっていた。同じく受験する者が立ち寄った。人々は腕輪を出して見せてほしいと頼んだ。客の中に、その一つを袖の中に落とし込んだ者があった。彭思永はそれを見ていたが、口にしなかった。人々は気づかなかった。みな驚いてそれを探した。彭思永は言った。「数はこれだけだ。なくなってなどいない」。立ち去ろうとしたとき、袖に腕輪を入れた者が礼をして手を上げた。腕輪が地に落ちた。人々は彭思永の度量に服した。
解説
前の条と対になっています。あちらは拾って返す側、こちらは盗られる側でした。見ていたのに、言いません。**彭思永はそれを見ていたが、口にしなかった。**しかも探し始めた人たちを止めています。**数はこれだけだ。なくなってなどいない。**嘘をついて、その場を終わらせた。自分の財より、その人が一生消えない汚名を負うことのほうを重く見ています。そして偶然、自然に落ちました。**袖に腕輪を入れた者が礼をして手を上げた。腕輪が地に落ちた。**
この章句が説くこと
惟だ金釧数隻を持して旅舎に棲む客に其の一を袖間に墜とす者有り公之を視て言わず公曰く数は止だ此のみ失有るに非ず袖に釧ある者揖して手を舉ぐ釧地に墜つ衆公の量に服す恥器量
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論語・憲問篇憲、恥を問う。子曰わく、邦に道あれば穀し、邦に道無くして穀するは、恥なり。
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