宋名臣言行録 / 前集巻六・吕夷簡
公惡韓富范三公欲廢之而不能軍興以韓范為西帥遣富使北名用仇而實間之又不克軍罷而請老盡用三公及宋莒公夏英公于二府皆其仇也又以其黨賈文元陳恭公間焉猶欲因以傾之譽范富皆王佐可致太平于是天子再賜手詔又開天章閣而命之坐出紙筆使疏時政所當因革諸公皆推范富請退而具草使二宦者更往督之且命領西北邉事既而各條上十數事而易監司按羣吏罷磨勘減任子衆不利而謗興又使范公日獻二事以困之及請城京師人始笑之初公每求去以□主意常未厭而去故能三入及老入事猶問西北相攻請出大臣行三邉于是范公使河東陜西富公使河北
新字:公悪韓富范三公欲廃之而不能軍興以韓范為西帥遣富使北名用仇而実間之又不克軍罷而請老尽用三公及宋莒公夏英公于二府皆其仇也又以其党賈文元陳恭公間焉猶欲因以傾之誉范富皆王佐可致太平于是天子再賜手詔又開天章閣而命之坐出紙筆使疏時政所当因革諸公皆推范富請退而具草使二宦者更往督之且命領西北邉事既而各条上十数事而易監司按羣吏罷磨勘減任子衆不利而謗興又使范公日献二事以困之及請城京師人始笑之初公毎求去以□主意常未厭而去故能三入及老入事猶問西北相攻請出大臣行三邉于是范公使河東陜西富公使河北
書き下し
公、韓・富・范の三公を惡み、之を廢せんと欲して能わず。軍興るに韓・范を以て西帥と為し、富を遣わして北に使いせしむ。名は仇を用うるも、實は之を間つなり。又た克たず。軍罷みて老を請う。盡く三公及び宋莒公・夏英公を二府に用う。皆な其の仇なり。又た其の黨賈文元・陳恭公を以て焉を間つ。猶お因りて以て之を傾けんと欲す。范・富を譽めて皆な王佐にして太平を致す可しとす。是に於て天子、再び手詔を賜い、又た天章閣を開きて之に坐するを命ず。紙筆を出だし、時政の當に因革すべき所を疏せしむ。諸公、皆な范・富を推す。退きて草を具えんことを請う。二宦者をして更々往きて之を督せしむ。且つ命じて西北の邉事を領せしむ。既にして各々十數事を條上す。而して監司を易え羣吏を按じ、磨勘を罷め任子を減ず。衆、利あらずして謗り興る。又た范公をして日々に二事を獻ぜしめて以て之を困しむ。京師に城くを請うに及び、人始めて之を笑う。初め、公、去るを求むる毎に、□を以て主意常に未だ厭かずして去る。故に能く三たび入る。老に及びて事に入るも、猶お西北の相い攻むるを問う。大臣をして出でて三邉を行かしめんことを請う。是に於て范公は河東・陜西に使いし、富公は河北に使いす。
現代語訳
公は韓琦・富弼・范仲淹の三人を憎み、退けようとしてできなかった。戦が起こると韓琦と范仲淹を西の帥とし、富弼を北への使者に遣わした。名目は仇を用いることだが、実は彼らを引き離すためであった。それも成功しなかった。戦が終わって隠退を願い出た。三人と宋庠・夏竦をすべて二府に用いた。みなその仇であった。そのうえその一党の賈昌朝と陳執中を入れて、彼らを引き離した。なおそれによって彼らを倒そうとした。范仲淹と富弼を褒めて、どちらも王を輔ける才で太平をもたらせるとした。そこで天子はふたたび自筆の詔を賜り、また天章閣を開いて坐るよう命じた。紙と筆を出して、当時の政で改めるべきところを書かせた。諸公はみな范仲淹と富弼を推した。退出して草案を作りたいと願い出た。二人の宦官をかわるがわる行かせて催促させた。そのうえ西北の辺境の事を統べるよう命じた。ほどなくそれぞれ十数か条を上奏した。そして監司を交代させ、多くの役人を調べ、勤務評定を廃し、蔭位を減らした。人々には不利であったので誹謗が起こった。そのうえ范仲淹に毎日二か条ずつ献ずるようにさせて、それで困らせた。都に城壁を築くよう求めるに至って、人々ははじめてそれを笑った。はじめ、公は辞任を願い出るたび、□によって主上の意向がまだ飽きていないうちに去った。だから三度も宰相に入ることができた。年老いて政に関わっても、なお西北がたがいに攻め合うことを尋ねた。大臣を出して三方の辺境を回らせるよう求めた。そこで范仲淹は河東・陝西へ使いし、富弼は河北へ使いした。
解説
この章句が説くこと
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