宋名臣言行録 / 後集巻二・歐陽修
公少時從里閭借書讀或抄之抄之未畢而已成誦矣
新字:公少時従里閭借書読或抄之抄之未畢而已成誦矣
書き下し
公少き時、里閭より書を借りて讀み、或いは之を抄す。之を抄し畢わらずして、已に誦を成せり。
現代語訳
欧陽脩は幼いころ、近所の家から本を借りて読み、あるいはそれを写した。写し終わらないうちに、もう暗誦できていた。
解説
二十一字です。本が買えないので、借りて写しました。写本というのは、読むより時間がかかる読み方です。**写し終わらないうちに、もう暗誦できていた。**そのゆっくりした作業が、そのまま記憶になった。速く読むための技術ではなく、遅く読むしかなかった条件のほうが、この人を作っています。前の条の荻の茎と同じで、不足が方法になっている記録です。
この章句が説くこと
公少き時里閭より書を借りて読む或いは之を抄す之を抄し畢わらずして已に誦を成せり記憶独学貧しさ
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