宋名臣言行録 / 前集巻九・田錫
公自布衣已有意於風化上書闕下請復鄉飲籍田禮及知睦州下車建孔子祠教民興學表請入紙國子學印經籍給諸生詔賜之還其紙
新字:公自布衣已有意於風化上書闕下請復鄉飲籍田礼及知睦州下車建孔子祠教民興学表請入紙国子学印経籍給諸生詔賜之還其紙
書き下し
公、布衣より已に風化に意有り。書を闕下に上りて、鄉飲・籍田の禮を復せんことを請う。睦州を知るに及び、車を下りて孔子の祠を建て、民を教えて學を興す。表して國子學の印經籍に紙を入れて諸生に給せんことを請う。詔して之を賜い、其の紙を還す。
現代語訳
公は無位のころから、すでに風俗と教化に心を寄せていた。宮門に書を上げて、郷飲酒の礼と籍田の礼を復活させるよう求めた。睦州の長官となったとき、車を下りるや孔子の廟を建て、民を教えて学問を興した。上表して、国子学の印刷した経籍に紙を納めて学生たちに配りたいと願い出た。詔が下ってそれを賜り、その紙は返された。
解説
五十四字の条です。頼み方が具体的でした。**国子学の印刷した経籍に紙を納めて、学生たちに配りたい。**本をくれ、ではありません。紙はこちらで出すから刷らせてくれ、と申し出ています。**詔が下ってそれを賜り、その紙は返された。**出したものまで戻ってきた。無位のころから風化に心を寄せていた、という一行が前に置かれています。
この章句が説くこと
公布衣より已に風化に意有り車を下りて孔子の祠を建て民を教えて学を興す国子学の印経籍に紙を入れて諸生に給せんことを請う詔して之を賜い其の紙を還す教化学校頼み方
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