宋名臣言行録 / 後集巻三・文彦博
至和初陳恭公罷相並用文富宣麻之際上遣小黄門密於百官班中聽其議論二公久有人望一旦復用朝士相賀黄門具奏上大恱予為學士後數日奏事埀拱殿上問新除彦博等外議如何余以朝士相賀為對上曰古之君用人或以夣卜茍不知人當從人望夢卜豈足憑耶故余作文公批答云永惟商周之所記至以夢卜而求賢孰若用搢紳之公言從中外之人望者具述上語也
新字:至和初陳恭公罷相並用文富宣麻之際上遣小黄門密於百官班中聴其議論二公久有人望一旦復用朝士相賀黄門具奏上大恱予為学士後数日奏事埀拱殿上問新除彦博等外議如何余以朝士相賀為対上曰古之君用人或以夣卜苟不知人当従人望夢卜豈足憑耶故余作文公批答云永惟商周之所記至以夢卜而求賢孰若用搢紳之公言従中外之人望者具述上語也
書き下し
至和の初め、陳恭公相を罷め、並びに文・富を用う。麻を宣するの際、上小黄門を遣わし、密かに百官の班中に於いて其の議論を聽かしむ。二公久しく人望有り。一旦復た用いられて朝士相い賀す。黄門具さに奏す。上大いに悅ぶ。予は學士爲り。後數日、垂拱殿に奏事す。上問う、新たに除する彦博等、外議如何と。余、朝士相い賀するを以て對う。上曰く、古の君の人を用うるは或いは夢卜を以てす。苟くも人を知らずんば、當に人望に從うべし。夢卜豈に憑むに足らんやと。故に余、文公の批答を作りて云う、永く商周の記す所を惟うに、夢卜を以て賢を求むるに至る。孰か搢紳の公言を用い、中外の人望に從うに若かんやと。上の語を具述するなり。
現代語訳
至和のはじめ、陳執中が宰相を辞め、あわせて文彦博と富弼を用いた。詔を宣する際、天子は小者の宦官を遣わして、ひそかに百官の列の中でその議論を聴かせた。二人は久しく人望があった。ひとたび再び用いられて、朝廷の士は互いに祝い合った。宦官はこまごまと報告した。天子は大いに喜んだ。私は学士であった。数日後、垂拱殿で奏上した。天子は問うた。「新たに任じた彦博らについて、外の評判はどうか」。私は、朝廷の士が互いに祝い合ったことをもって答えた。天子は言った。「古の君主が人を用いるときは、夢や占いによることもあった。もし人を見分けられないのであれば、人望に従うべきである。夢や占いが、どうして頼りになるものか」。それゆえ私は文彦博への批答を作って、こう書いた。「はるかに商周の記すところを思うに、夢や占いによって賢者を求めるに至っている。どうして、官人たちの公の言葉を用い、中外の人望に従うのに及ぼうか」。天子の言葉をそのまま述べたのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『宋名臣言行録』後集巻二・富弼至和二年、召されて集賢相を拜す。文彦博と並び命ぜらる。制を宣するの日、士夫朝に相い慶す。仁宗密かに覘いて之を知り、侍臣歐陽修に謂いて曰く、古の相を求むる者は、或いは之を夢卜に得たり。今朕二相を用いて人情此くの如し。豈に夢卜に賢らずや。修頓首して賀を稱す。
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説苑・臣術楚の令尹死す。景公成公幹に遇いて曰く、「令尹将た焉くにか帰せん」と。成公幹曰く、「殆ど屈春に於いてか」と。景公怒りて曰く、「国人以て我に帰すと為す」と。成公幹曰く、「子の資少なく、屈春の資多し。子義天下の至憂を獲て、而れども以て友と為す。鳴鶴と芻狗と、其の知甚だ少なきも、而れども子之を玩ぶ。鴟夷子皮日に屈春に侍し、損頗友と為る。二人の智、以て令尹と為るに足るも、敢えて其の智を専らにせずして之を屈春に委ぬ。故に曰く、政其れ屈春に帰せんかと」と。
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『学問のすゝめ』十七編・人望論・人に当てにせらるる人物十人の見るところ、百人の指すところにて、「何某は慥かなる人なり、たのもしき人物なり、この始末を託しても必ず間違いなからん、この仕事を任しても必ず成就することならん」と、あらかじめその人柄を当てにして世上一般より望みをかけらるる人を称して、人望を得る人物という。およそ人間世界に人望の大小軽重はあれども、かりそめにも人に当てにせらるる人にあらざれば、なんの用にも立たぬものなり。その小なるを言えば、十銭の銭を持たせて町使いに遣る者も、十銭だけの人望ありて、十銭だけは人に当てにせらるる人物なり。十銭より一円、一円より千円万円、ついには幾百万円の元金を集めたる銀行の支配人となり、または一府一省の長官となりて、ただに金銭を預かるのみならず、人民の便不便を預かり、その貧富を預かり、その栄辱をも預かることあるものなれば、かかる大任に当たる者は、必ず平生より人望を得て、人に当てにせらるる人にあらざれば、とても事をなすことは叶い難し。
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李衛公問対・卷中文は能く衆を附け、武は能く敵を威す。
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史記 魏公子列伝無忌は大梁に在りし時より、常にこの両人の賢なるを聞き、趙に至りて、見ゆるを得ざらんことを恐る。無忌の従ひて游ぶを以てするも、尚ほその我を欲せざるを恐る、今平原君は乃ち以て羞と為す、それ従ひて遊ぶに足らず」と。乃ち装して去らんと為す。夫人具に以て平原君に語る。平原君乃ち冠を免ぎて謝し、固く公子を留む。平原君の門下これを聞き、半ば平原君を去りて公子に帰し、天下の士また往きて公子に帰す、公子は平原君の客を傾く。
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『春秋左氏伝』文公十六年 蕩意諸、君に殉ず宋の公子鮑國人に禮す。宋饑う、其の粟を竭くして之に貸す。年七十より以上は、饋詒せざる無し。時に羞珍異を加ふ。日として六卿の門に數々せざる無し。國の材人、事へざる無し。親は桓より以下、恤れまざる無し。公子鮑美にして豔なり、襄夫人之に通ぜんと欲す、而も可(き)かず。夫人之が施しを助く。昭公無道なり、國人公子鮑を奉じて以って夫人に因る。是に於いて華元右師と為り、公孫友左師と為り、華耦司馬と為り、鱗鱹司徒と為り、蕩意諸司城と為り、公子朝司寇と為る。初め、司城蕩卒す。公孫壽司城を辭し、意諸をして之と為さしめんことを請ふ。既にして人に告げて曰く、「君無道なり、吾が官近し、及ばんことを懼る。官を棄つれば則ち族庇ふ所無し。子は、身の貳なり。姑く死を紓(ゆる)べん。子を亡ふと雖も、猶ほ族を亡はず」と。既にして、夫人將に公をして孟諸に田せしめて之を殺さんとす。公之を知り、盡く寶を以って行く。蕩意諸曰く、「盍ぞ諸侯に適かざる」と。公曰く、「其の大夫に能はず、君祖母に至り、以って國人に及ぶ。諸侯誰か我を納れん。且つ既に人の君と為りて、又人の臣と為るは、死するに如かず」と。盡く其の寶を以って左右に賜ひ、以って行らしむ。夫人司城をして公を去らしめんとす。對へて曰く、「之に臣として其の難を逃れば、後の君を若何せん」と。冬、十一月、甲寅、宋の昭公將に孟諸に田せんとして、未だ至らず。夫人王姬帥甸をして攻めて之を殺さしむ。蕩意諸之に死す。書に曰く、「宋人其の君杵臼を弒す」と、君無道なればなり。文公位に即き、母弟須をして司城と為さしむ。華耦卒して、蕩虺をして司馬と為さしむ。

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