宋名臣言行録 / 前集巻五・李迪
真宗不豫大漸之夕公與宰執以祈禳宿内殿時仁宗幼冲八大王元儼者有威名以問疾留禁中累日不肯出執政患之無以為計偶翰林司以金盂貯熟水曰王所須也公取案上墨筆攪水中盡黑令持去王見之大驚意其有毒也即上馬去
新字:真宗不予大漸之夕公与宰執以祈禳宿内殿時仁宗幼沖八大王元儼者有威名以問疾留禁中累日不肯出執政患之無以為計偶翰林司以金盂貯熟水曰王所須也公取案上墨筆攪水中尽黒令持去王見之大驚意其有毒也即上馬去
書き下し
真宗豫まず。大漸の夕、公と宰執と、祈禳を以て内殿に宿す。時に仁宗幼冲なり。八大王元儼なる者、威名有り。疾を問うを以て禁中に留まること累日、出づるを肯んぜず。執政之を患う。以て計を為す無し。偶ま翰林司、金盂を以て熟水を貯う。曰く、王の須むる所なりと。公、案上の墨筆を取りて水中を攪すに盡く黑し。持ち去らしむ。王之を見て大いに驚く。其の毒有るを意うなり。即ち馬に上りて去る。
現代語訳
真宗が病んだ。危篤の夕方、公と宰相・執政たちは、祈祷のために内殿に泊まっていた。当時、仁宗はまだ幼かった。八大王の趙元儼という者が、威名のある人であった。見舞いにかこつけて宮中に何日も留まり、出て行こうとしなかった。執政たちはそれを心配した。しかし手の打ちようがなかった。たまたま翰林司が金の鉢に湯を入れて持ってきた。「王のお求めのものです」と言った。公は机の上の墨筆を取って水の中をかき回した。すっかり黒くなった。そのまま持って行かせた。王はそれを見てひどく驚いた。毒が入っていると思ったのである。すぐに馬に乗って去った。
解説
出て行かない皇族を、湯の色ひとつで帰らせた条です。机の上の墨筆を取って、金の鉢の湯をかき回した。それだけです。何も言わず、誰も責めず、湯を黒くして持って行かせました。相手は毒を疑って、すぐ馬に乗って去っています。危篤の夜に威名のある皇族が居座っている、という危うい状況を、一つの動作で解いた。編者はこの手際を、評もつけずに置いています。
この章句が説くこと
案上の墨筆を取りて水中を攪すに尽く黒し疾を問うを以て禁中に留まること累日出づるを肯んぜず王之を見て大いに驚く即ち馬に上りて去る機転危機無言
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