宋名臣言行録 / 前集巻四・冦凖
相持十餘日契丹計索始請和既有約矣又率其衆詐欲填壕㑹有飛矢射其統軍殺之契丹大擾其請和遂益堅凖不肯敵使來益恭上將許之凖欲邀使稱臣且獻幽州地時上厭兵事于是有譛凖不願與敵平幸有兵事以自取重上亦不悦凖不得已許之時敵舉國來冦入中國千餘里其歸不十日不能出漢地郡邑堅壁清野以待冦敵人馬飢乏百萬之衆可毋戰而死敵窘如此誠少抑緩之契丹不敢不稱臣幽州可必得也
新字:相持十余日契丹計索始請和既有約矣又率其衆詐欲填壕会有飛矢射其統軍殺之契丹大擾其請和遂益堅凖不肯敵使来益恭上将許之凖欲邀使称臣且献幽州地時上厭兵事于是有譛凖不願与敵平幸有兵事以自取重上亦不悦凖不得已許之時敵舉国来寇入中国千余里其帰不十日不能出漢地郡邑堅壁清野以待寇敵人馬飢乏百万之衆可毋戦而死敵窘如此誠少抑緩之契丹不敢不称臣幽州可必得也
書き下し
相い持すること十餘日。契丹計索きて始めて和を請う。既に約有り。又た其の衆を率いて詐りて壕を填めんと欲す。㑹々飛矢の其の統軍を射て之を殺す有り。契丹大いに擾る。其の和を請うこと遂に益々堅し。凖肯んぜず。敵の使い來ること益々恭し。上將に之を許さんとす。凖、使いを邀えて臣と稱し、且つ幽州の地を獻ぜしめんと欲す。時に上、兵事を厭う。是に於て凖を譛る者有り、敵と平らぐを願わず、兵事有りて以て自ら重きを取るを幸うと。上も亦た悦ばず。凖已むを得ずして之を許す。時に敵、國を舉げて來冦し、中國に入ること千餘里。其の歸ること十日ならずんば漢地を出づる能わず。郡邑、壁を堅くし野を清くして以て冦を待たば、敵の人馬飢乏し、百萬の衆、戰う毋くして死す可し。敵の窘まること此くの如し。誠に少しく之を抑え緩くせば、契丹敢えて臣と稱せずんばあらず。幽州必ず得可きなり。
現代語訳
十日あまりにらみ合った。契丹は謀りごとが尽きて、はじめて和を請うた。すでに約束ができていた。それでも軍勢を率いて、偽って堀を埋めようとした。ちょうどそのとき、飛んできた矢がその統軍に当たって殺した。契丹は大いに動揺した。和を請うことは、それでいよいよ固くなった。寇準は承知しなかった。敵の使者が来るのは、ますますへりくだった。帝は許そうとした。寇準は、使者に臣と称させ、そのうえ幽州の地を献じさせようとした。当時、帝は戦を厭うていた。そこで寇準を讒言する者があった。敵と和睦することを願わず、戦があることで自分の重みを増そうとしている、と。帝もまた喜ばなかった。寇準はやむを得ずこれを許した。当時、敵は国を挙げて攻め込み、中国に千余里も入り込んでいた。帰るには十日かかっても漢の地を出られない。郡や邑が壁を堅くし野を空にして敵を待てば、敵の人も馬も飢え乏しくなり、百万の軍勢は戦わずして死んだであろう。敵が窮していたのはこのとおりであった。まことに少し抑えて引き延ばせば、契丹は臣と称さないわけにいかなかった。幽州も必ず得られたはずである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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論語・憲問篇公伯寮、子路を季孫に愬う。子服景伯以て告げて曰く、「夫子固より公伯寮に惑志有り。吾が力猶お能く諸を市朝に肆さん。」子曰く、「道の将に行われんとするや、命なり。道の将に廃れんとするや、命なり。公伯寮其れ命を如何せん。」
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論語・顔淵篇子張、明を問う。子曰く、「浸潤の譖、膚受の愬、行われざれば、明と謂う可きのみ。浸潤の譖、膚受の愬、行われざれば、遠しと謂う可きのみ。」
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説苑・雜言祁射子、秦の惠王に見え、惠王之を說ぶ。是に於いて唐姑之を讒し、復た見ゆるに、惠王怒りを懷きて以て之を待つ。其の說く所異なるに非ざるなり、聽く所の易わればなり。故に徵を以て羽と為すは、絃の罪に非ざるなり。甘きを以て苦しと為すは、味を限るの過ちなり。
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牧民忠告・聽訟健訟(けんしょう)の者理或いは勝たざれば、則ち往往にして其の敵嘗て官長を謗(そし)ると誣(し)う。之を聴く者当(まさ)に心を平らかにし気を易(やわ)らげ、謗言(ぼうげん)を事外(じがい)に置き、惟(た)だ其の実を核(ただ)して之を遣(や)るべし、庶(こいねが)わくは奸民(かんみん)の計中(けいちゅう)に堕(お)ちざらんことを。
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史記 司馬穰苴列伝已にして大夫鮑氏・高・国の属之を害み、景公に譖る。景公、穰苴を退く。苴、疾を発して死す。田乞・田豹の徒、此れに由り高・国等を怨む。其の後、田常の簡公を殺すに及び、尽く高子・国子の族を滅ぼす。常の曾孫和に至り、因りて自立して斉の威王と為り、兵を用ゐ威を行ふに、大いに穰苴の法に放ひ、而して諸侯斉に朝す。
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史記 伍子胥列伝呉の太宰嚭既に子胥と隙有り、因りて讒して曰く、「子胥の人と為りは剛暴にして恩少なく、猜賊なり。其の怨望、恐らく深禍を為さん。前日王斉を伐たんと欲し、子胥以て不可と為すも、王卒に之を伐ちて大功有り。子胥其の計謀の用ゐられざるを恥ぢ、乃ち反って怨望す。而して今王又復た斉を伐つに、子胥専愎彊諫し、用事を沮毀し、徒に呉の敗るるを幸ひて以て自ら其の計謀に勝たんとするのみ。今王自ら行き、国中の武力を悉くして以て斉を伐つに、子胥諫め用ゐられず、因りて輟めて謝し、病を詳りて行かず。王備へざる可からず、此れ禍を起こすこと難からず。且つ嚭人をして微かに之を伺はしむるに、其の斉に使ひするや、乃ち其の子を斉の鮑氏に属す。夫れ人臣為りて、内に意を得ず、外に諸侯に倚り、自ら以て先王の謀臣と為し、今用ゐられず、常に鞅鞅として怨望す。願はくは王早く之を図れ」と。呉王曰く、「微子の言、吾も亦た之を疑へり」と。乃ち使ひをして伍子胥に属鏤の剣を賜はしめて曰く、「子此れを以て死せ」と。伍子胥天を仰ぎ嘆じて曰く、「嗟乎、讒臣嚭乱を為し、王乃ち反って我を誅す。我、若の父をして覇たらしむ。若の未だ立たざりし時自り、諸公子立つを争ふに、我死を以て之を先王に争ひ、幾んど立つを得ざらんとす。若既に立つを得るや、呉国を分かちて我に予へんと欲するも、我顧って敢て望まざるなり。然るに今若、諛臣の言を聴きて以て長者を殺す」と。乃ち其の舎人に告げて曰く、「必ず吾が墓の上に樹うるに梓を以てし、以て器を為る可からしめよ。而して吾が眼を抉りて呉の東門の上に縣けよ、以て越寇の入りて呉を滅ぼすを観ん」と。乃ち自剄して死す。呉王之を聞き大いに怒り、乃ち子胥の尸を取り盛るに鴟夷の革を以てし、之を江中に浮かぶ。呉人之を憐み、為に祠を江上に立て、因りて命づけて胥山と曰ふ。