宋名臣言行録 / 後集巻四・劉敞
是時士大夫稍矜虚名每得官輒讓衆亦予其恬退讓不失始利而得名益髙讓端無窮或四五讓至七八下至布衣福州陳烈等初除吏亦讓賜之粟帛亦讓公以為此皆挾偽求名要上迷衆其風不可長乃建言諸讓官或一讓或再讓或不得讓宜一以故事舊典為準
新字:是時士大夫稍矜虚名毎得官輒譲衆亦予其恬退譲不失始利而得名益高譲端無窮或四五譲至七八下至布衣福州陳烈等初除吏亦譲賜之粟帛亦譲公以為此皆挟偽求名要上迷衆其風不可長乃建言諸譲官或一譲或再譲或不得譲宜一以故事旧典為準
書き下し
是の時、士大夫稍ミ虚名を矜り、官を得る毎に輒ち讓る。衆も亦た其の恬退を予とす。讓るは始めの利を失わずして名を得ること益ミ髙し。讓の端窮まり無く、或いは四五讓、七八に至る。下は布衣に至るまで、福州の陳烈等、初めて吏を除せらるるにも亦た讓り、粟帛を賜うにも亦た讓る。公以爲えらく、此れ皆偽りを挾みて名を求め、上を要し衆を迷わすなり。其の風長ず可からずと。乃ち建言す、諸ミの讓官は、或いは一讓、或いは再讓、或いは讓るを得ず。宜しく一に故事舊典を以て準と爲すべしと。
現代語訳
当時、士大夫はいささか虚名を誇り、官を得るたびにすぐ辞退した。人々もまた、その欲のない退き方を良しとした。辞退しても初めの利益は失わず、しかも名声はいっそう高まる。辞退の応酬には限りがなく、四度五度、七度八度に及ぶこともあった。下は無位の者に至るまで、福州の陳烈らは、はじめて役に任じられるときにも辞退し、穀物や絹を賜るのにも辞退した。劉敞は考えた。これはみな偽りを抱えて名を求め、上を強い、人々を惑わせるものである。この風潮は伸ばしてはならない、と。そこで建言した。「諸々の官の辞退は、一度辞退するもの、二度辞退するもの、辞退できないものと分ける。すべて先例と旧来の典礼を基準とすべきです」。
解説
謙譲が制度を空回りさせた話です。仕組みが見抜かれています。**辞退しても初めの利益は失わず、しかも名声はいっそう高まる。**損しないうえに得がある。だから回数が伸びます。**四度五度、七度八度に及ぶこともあった。**そして無位の者まで真似はじめた。判定も容赦がありません。**これはみな偽りを抱えて名を求め、上を強い、人々を惑わせるものである。**対処は禁止ではなく、回数の規格化でした。無限に伸びる余地を、先例で塞いでいます。
この章句が説くこと
士大夫稍ミ虚名を矜り官を得る毎に輒ち譲る譲るは始めの利を失わずして名を得ること益ミ高し譲の端窮まり無く或いは四五譲七八に至る此れ皆偽りを挟みて名を求め上を要し衆を迷わすなり謙譲虚名
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