宋名臣言行録 / 後集巻六・曾公亮
公自嘉祐秉政至熙寧中尚在中書年雖髙而精力不衰故臺諌無非之者唯李復圭以為不可作詩曰老鳳池邉蹲不去饑烏臺上噤無聲公亦去
新字:公自嘉祐秉政至熙寧中尚在中書年雖高而精力不衰故台諌無非之者唯李復圭以為不可作詩曰老鳳池邉蹲不去饑烏台上噤無声公亦去
書き下し
公嘉祐より政を秉り、熙寧中に至りて尚お中書に在り。年は髙しと雖も精力衰えず。故に臺諫に之を非とする者無し。唯だ李復圭のみ以て不可と爲し、詩を作りて曰く、老鳳は池邊に蹲りて去らず、饑烏は臺上に噤して聲無しと。公も亦た去る。
現代語訳
曾公亮は嘉祐年間から政を執り、熙寧年間に至ってなお中書にいた。年は高かったが気力は衰えなかった。だから御史台と諫院に、これを非とする者はいなかった。ただ李復圭ひとりがよくないとして、詩を作って言った。「老いた鳳は池のほとりに蹲って去らず、飢えた烏は台の上で口を噤んで声もない」。曾公亮もまた去った。
解説
長く居座ること自体を、誰も問題にしていませんでした。**年は高かったが気力は衰えなかった。だから御史台と諫院に、これを非とする者はいなかった。**能力があるので、批判の材料がない。ただ一人が詩で言いました。しかも自分たちごと詠んでいます。**老いた鳳は池のほとりに蹲って去らず、飢えた烏は台の上で口を噤んで声もない。**去らない上と、黙っている御史台。批判の言葉が出ないこと自体を、批判の材料にしました。
この章句が説くこと
公嘉祐より政を秉り熙寧中に至りて尚お中書に在り年は高しと雖も精力衰えず故に台諫に之を非とする者無し老鳳は池辺に蹲りて去らず饑烏は台上に噤して声無し公も亦た去る長期風刺
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