宋名臣言行録 / 後集巻一・韓琦
初法下曰琦舊臣也義不敢黙及不聽曉官屬亟奉行曰琦一郡守也其敢不如令
新字:初法下曰琦旧臣也義不敢黙及不聴暁官属亟奉行曰琦一郡守也其敢不如令
書き下し
初め法下るや、曰く、琦は舊臣なり。義として敢えて黙せずと。聽かれざるに及び、官屬に曉して亟かに奉行せしめて曰く、琦は一郡守なり。其れ敢えて令の如くせざらんやと。
現代語訳
はじめ法が下ったとき、韓琦は言った。「琦は旧臣である。義として黙っているわけにはいかない」。容れられなくなると、属官に諭してただちに施行させ、言った。「琦は一介の郡の長官である。どうして命令のとおりにしないでいられようか」。
解説
三十二字で、意見と職務が分けてあります。反対するときの立場は旧臣でした。**琦は旧臣である。義として黙っているわけにはいかない。**先帝からの臣だから、言う責任がある。そして容れられなかったあとは、名乗りが変わります。**琦は一介の郡の長官である。どうして命令のとおりにしないでいられようか。**反対したから執行しない、をやっていません。しかも遅らせてもいない。**ただちに施行させた。**言うところまでは全力で言い、決まったあとは全力で回す。同じ人が、同じ法に対してです。
この章句が説くこと
琦は旧臣なり義として敢えて黙せず聴かれざるに及び官属に暁して亟かに奉行せしむ琦は一郡守なり其れ敢えて令の如くせざらんや反対執行立場
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