宋名臣言行録 / 後集巻一・韓琦
公言慶厯中與希文彦國同在西府上前争事議論各别下殿不失和氣如未嘗争也當時相善三人正如推車子盖其心主於車可行而已
新字:公言慶厯中与希文彦国同在西府上前争事議論各別下殿不失和気如未嘗争也当時相善三人正如推車子盖其心主於車可行而已
書き下し
公言う、慶暦中、希文・彦國と同じく西府に在り。上の前にて事を爭い、議論各ミ別なり。殿を下れば和氣を失わず、未だ嘗て爭わざるが如し。當時相善き三人、正に車子を推すが如し。蓋し其の心は車の行く可きに主とするのみと。
現代語訳
韓琦は言った。「慶暦年間、范仲淹・富弼とともに枢密院にいた。天子の前で事を争い、議論はそれぞれ別であった。殿を下りれば和やかさを失わず、まるで一度も争わなかったかのようであった。当時、仲の良かった三人は、ちょうど車を押すようなものであった。思うに、その心は車が進むことを主としていただけである」。
解説
同じ職場で正面から争っていた三人の話です。争いは本物でした。**天子の前で事を争い、議論はそれぞれ別であった。**そして場所が変わると切り替わります。**殿を下りれば和やかさを失わず、まるで一度も争わなかったかのようであった。**なぜそうできたのかを、たとえで一つだけ言い残しています。**ちょうど車を押すようなものであった。その心は車が進むことを主としていただけである。**押す位置も向きも違っていい。動かしたいものが同じなら、議論の相手は敵になりません。
この章句が説くこと
上の前にて事を争い議論各ミ別なり殿を下れば和気を失わず未だ嘗て争わざるが如し正に車子を推すが如し蓋し其の心は車の行く可きに主とするのみ議論対立
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