宋名臣言行録 / 後集巻七・司馬光
上問公惠卿言何如公曰布法何名為變若四孟月朔屬民讀法為時變月變邪諸侯有變禮易樂者王廵狩則誅之王不自變也刑新國用輕典亂國用重典平國用中典是謂世輕世重非變也
新字:上問公恵卿言何如公曰布法何名為変若四孟月朔属民読法為時変月変邪諸侯有変礼易楽者王廵狩則誅之王不自変也刑新国用軽典乱国用重典平国用中典是謂世軽世重非変也
書き下し
上公に問う、惠卿の言は何如と。公曰く、法を布くは何ぞ名づけて變と爲さんや。若し四孟月朔に民を屬めて法を讀むを、時變・月變と爲さんや。諸侯に禮を變じ樂を易うる者有らば、王巡狩して則ち之を誅す。王は自ら變ぜざるなり。新國を刑するには輕典を用い、亂國には重典を用い、平國には中典を用う。是を世輕世重と謂う。變に非ざるなりと。
現代語訳
天子は司馬光に問うた。「恵卿の言はどうか」。司馬光は言った。「法を掲げることを、どうして変更と名づけましょうか。もし四季のはじめの月の一日に民を集めて法を読み上げるのを、季節ごとの変更、月ごとの変更と呼ぶのですか。諸侯に礼を変え楽を改める者があれば、王は巡狩してこれを誅します。王が自ら変えるのではありません。新しく治まった国を裁くには軽い法を用い、乱れた国には重い法を用い、平らかな国には中程度の法を用います。これを世に応じて軽くも重くもすると言うのです。変更ではありません」。
解説
四つに分けられた分類を、一つずつ外していきます。掲示は変更ではない。もし四季のはじめの月の一日に民を集めて法を読み上げるのを、季節ごとの変更、月ごとの変更と呼ぶのですか。巡狩は、変えた者を罰する側です。王が自ら変えるのではありません。刑罰の軽重は、法を変えたのではなく、当てる相手が違うだけ。これを世に応じて軽くも重くもすると言うのです。変更ではありません。どれも、言葉の使い方を確かめただけで崩れました。
この章句が説くこと
法を布くは何ぞ名づけて変と為さんや若し四孟月朔に民を属めて法を読むを時変月変と為さんや王巡狩して則ち之を誅す王は自ら変ぜざるなり是を世軽世重と謂う変に非ざるなり反駁定義
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