宋名臣言行録 / 後集巻七・司馬光
特公以新法不罷義不可起元豐官制成帝曰官制將行欲取新舊人兩用之又曰御史大夫非光不可蔡確進曰國是方定願少俟之王珪亦□其說至元豐七年秋資治通鑑成進御時拜公資政殿學士賜帶如二府品數者修書官亦遷秩召范祖禹及公子康為館職時帝初感疾既安語宰輔曰來春建儲以司馬光吕公著為師保神宗知公之深如此
新字:特公以新法不罷義不可起元豊官制成帝曰官制将行欲取新旧人両用之又曰御史大夫非光不可蔡確進曰国是方定願少俟之王珪亦□其説至元豊七年秋資治通鑑成進御時拝公資政殿学士賜帯如二府品数者修書官亦遷秩召范祖禹及公子康為館職時帝初感疾既安語宰輔曰来春建儲以司馬光呂公著為師保神宗知公之深如此
書き下し
特に公は新法罷まざるを以て義として起つ可からず。元豐の官制成る。帝曰く、官制將に行われんとす。新舊の人を取りて兩つながら用いんと欲すと。又た曰く、御史大夫は光に非ざれば不可なりと。蔡確進みて曰く、國是方に定まる。願わくは少しく之を俟てと。王珪も亦た□其の説。元豐七年秋に至り、資治通鑑成りて御に進む。時に公を資政殿學士に拜し、帶を賜うこと二府の品數の如き者なり。修書官も亦た秩を遷る。范祖禹及び公の子康を召して館職と爲す。時に帝初め疾を感じ、既に安んじて宰輔に語りて曰く、來春儲を建てん。司馬光・呂公著を以て師保と爲さんと。神宗の公を知ること深きこと此くの如し。
現代語訳
ただ司馬光は、新法が廃止されない以上、道義として立つことができなかった。元豊の官制が成った。天子は言った。「官制がいよいよ行われる。新旧どちらの人も取って、両方を用いたい」。また言った。「御史大夫は光でなければならない」。蔡確が進み出て言った。「国の方針がまさに定まったところです。どうかしばらくお待ちください」。王珪もまたその説に〔一字を欠く〕じた。元豊七年の秋に至り、『資治通鑑』が完成して天子に進上された。そのとき司馬光を資政殿学士に任じ、帯を賜うことは二府の位に相当する品数であった。編纂の官もまた位を進められた。范祖禹および司馬光の子の康を召して館職とした。当時、天子ははじめ病を感じ、癒えてから宰相たちに語って言った。「来春、皇太子を立てる。司馬光と呂公著を師保としよう」。神宗が司馬光を深く知っていたことは、これほどであった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『宋名臣言行録』後集巻七・司馬光公初め歴代の史の繁重にして學者の綜ぶる能わざるを患う。况んや人主に於いてをや。遂に戰國より秦の二世に至るを約し、左氏の體の如くして通志八巻と爲して以て進む。英宗之を悦び、公に命じて其の書を讀ましめ、局を秘閣に置き、其の素より賢とする所の劉攽・劉恕・范祖禹を以て屬官と爲す。神宗尤も其の書を重んじ、以て荀悦に賢れりと爲し、親ら爲に序を製し、名を賜いて資治通鑑とす。詔して邇英に其の書を讀ましめ、潁邸の舊書二千四百二巻を賜う。書成りて資政殿學士に拜し、仍お金帛を賜う。
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『宋名臣言行録』後集巻十三・范祖禹熙寧三年、温公歷代君臣の事迹を修む。公を辟して同に編修せしむ。又た劉攽・劉恕を辟す。温公洛に歸るに及び、詔して其の属を以て自ら隨わしむるを聽す。而して二公は官所に在り。獨り公のみ洛に在り。温公專ら書局の事を以て之に属す。故に公此の書に於いて力を致すこと尤も多し。
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『宋名臣言行録』後集巻七・司馬光甲寅、予初めて經筵に赴く。上自ら資治通鑑の序を製し自ら書して、以て光に授く。光受けて讀み、降りて再拜す。三家を諸侯と爲すの論を讀む。上禹玉等を顧みて美を稱すること久し。
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『宋名臣言行録』後集巻七・司馬光門下侍郎に拜せらる。元豐の末、天下多故。二聖位を嗣ぎ、民日夜領を引きて以て新政を觀る。而して説を進むる者以爲えらく、三年父の道を改むる無しと。稍ミ其の重き者を損じ、毛のごとく數事を舉げて以て人言を塞がんと欲す。公慨然として之を爭いて曰く、先帝の法は其の善き者は百世變ぜずと雖も可なり。若し安石・惠卿等の建つる所にして天下の害と爲り、先帝の本意に非ざる者は、之を改むること當に焚を捄い溺を拯うが如くすべし。猶お及ばざるを恐る。况んや太皇太后は母を以て子を改む。子の父を改むるに非ずと。衆議乃ち定まる。
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『宋名臣言行録』後集巻七・司馬光神宗即位す。首めて公を擢んで翰林學士と爲す。公力めて辭するも許されず。上面ミ諭す、古の君子は或いは學んで文ならず、或いは文にして學ばず。惟だ董仲舒・揚雄のみ之を兼ぬ。卿には文學有り。何ぞ辭するを爲すやと。公曰く、臣は四六を爲す能わずと。上曰く、兩漢の制詔の如きにて可なりと。公曰く、本朝の故事は不可なりと。上曰く、卿は能く進士に舉げられて髙等を取る。而るに四六を能くせずと云うは何ぞやと。公趨り出づ。上内臣を遣わして閤門に至らしめ、強いて公に告を受けしむ。拜して受けず。公を趣して入りて謝せしむ。曰く、上坐して以て公を待つと。公入りて庭中に至る。告を以て公の懷中に置く。已むを得ずして乃ち受く。
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『宋名臣言行録』後集巻七・司馬光公永興軍を知す。上章して曰く、臣の不才は最も羣臣の下に出づ。先見は呂誨に如かず、公直は范純仁・程顥に如かず、敢言は蘇軾・孔文仲に如かず、勇決は范鎮に如かず。若し臣の罪、鎮と同じくば則ち鎮の例に依りて致仕せんことを乞う。若し罪、鎮より重くば、或いは竄し或いは誅せらるるも敢えて逃れざる所なりと。帝必ず公を用いんと欲し、召して許州を知せしめ、闕を過ぎて殿に上らしむ。監察御史程顥に謂いて曰く、卿光の來たるや否やを度れと。顥對えて曰く、陛下能く其の言を用いば光は必ず來たらん。其の言を用うる能わずんば光は必ず來たらじと。帝曰く、未だ其の言を用うるを論ぜず。光の如き者常に左右に在らば自ら過ち無かる可しと。公果たして召命を辭す。帝嘗て左丞蒲宗孟に謂いて曰く、光の如きは別事を論ぜず、只だ樞密を辭するの一節のみ。朕即位より以來、惟だ此の一人を見るのみと。帝の公に眷禮すること此くの如く衰えず。