宋名臣言行録 / 前集巻一・趙普
太祖時嘗有羣臣立功當遷官上素嫌其人不與普堅以為請上怒曰朕固不為遷官將若何普曰刑以懲惡賞以酬功古今通道也且刑賞者天下之刑賞非陛下之刑賞也豈得以喜怒専之上怒甚起普亦隨之上入宮普立於宮門乆之不去上悟乃可其奏
新字:太祖時嘗有羣臣立功当遷官上素嫌其人不与普堅以為請上怒曰朕固不為遷官将若何普曰刑以懲悪賞以酬功古今通道也且刑賞者天下之刑賞非陛下之刑賞也豈得以喜怒専之上怒甚起普亦随之上入宮普立於宮門乆之不去上悟乃可其奏
書き下し
太祖の時、嘗て羣臣に功を立てて官を遷す當き者有り。上素より其の人を嫌いて與えず。普堅く以て請を為す。上怒りて曰く、朕固より遷官を為さず。將に若何せんとす。普曰く、刑は以て惡を懲らし、賞は以て功に酬ゆるは、古今の通道なり。且つ刑賞は天下の刑賞にして、陛下の刑賞に非ざるなり。豈に喜怒を以て之を専らにするを得んや。上怒ること甚だしく起つ。普も亦た之に隨う。上宮に入る。普宮門に立つこと乆しくして去らず。上悟りて乃ち其の奏を可とす。
現代語訳
太祖の時、群臣の中に功を立てて官を上げるべき者がいた。太祖はもとよりその人を嫌って与えなかった。趙普は固く願い出た。太祖は怒って言った。「私はどうしても官を上げない。それでどうするつもりだ」。趙普は言った。「刑は悪を懲らすため、賞は功に報いるためというのは、古今を通じた道理です。そのうえ刑と賞は天下の刑と賞であって、陛下の刑と賞ではありません。どうして喜怒によってこれを独り占めにできましょう」。太祖はひどく怒って立ち上がった。趙普もそれに従った。太祖は宮に入った。趙普は宮の門に立ったまま、長いあいだ去らなかった。太祖は悟り、その奏を認めた。
解説
賞罰の持ち主は誰かを正面から言った一段です。**刑と賞は天下の刑と賞であって、陛下の刑と賞ではない。**好き嫌いで動かせるものではない、と。太祖は怒って立ち上がり宮に入りますが、趙普は門に立ったまま去りませんでした。前段の「破れた奏状を貼り合わせる」と同じ型です。言葉で勝ったのではなく、立ち去らないことで通しています。
この章句が説くこと
刑賞は天下の刑賞にして陛下の刑賞に非ず豈に喜怒を以て之を専らにするを得んや普宮門に立つこと乆しくして去らず賞罰公私原則
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