宋名臣言行録 / 後集巻二・富弼
公初逰場屋穆伯長謂之曰進士不足以盡子之才當以大科名世公果禮部試下公西歸范文正遣人追公曰有㫖以大科取士可亟還公還京師見文正辭以未嘗為此學文正曰已同諸公薦君矣久為君闢一室皆大科文字可往就館時晏元獻為相求婚於文正文正曰公女若嫁官人則仲淹不敢知必求國士無如富弼者即議婚公遂以賢良方正登第
新字:公初遊場屋穆伯長謂之曰進士不足以尽子之才当以大科名世公果礼部試下公西帰范文正遣人追公曰有旨以大科取士可亟還公還京師見文正辞以未嘗為此学文正曰已同諸公薦君矣久為君闢一室皆大科文字可往就館時晏元献為相求婚於文正文正曰公女若嫁官人則仲淹不敢知必求国士無如富弼者即議婚公遂以賢良方正登第
書き下し
公初め場屋に遊ぶ。穆伯長之に謂いて曰く、進士は以て子の才を盡くすに足らず。當に大科を以て世に名あるべしと。公果たして禮部の試に下る。公西に歸る。范文正人を遣わして公を追わしめて曰く、旨有り、大科を以て士を取ると。亟かに還る可しと。公京師に還り、文正に見え、未だ嘗て此の學を爲さずと辭す。文正曰く、已に諸公と君を薦めたり。久しく君の爲に一室を闢く。皆大科の文字なり。往きて館す可しと。時に晏元獻相と爲り、婚を文正に求む。文正曰く、公の女、若し官人に嫁がば則ち仲淹敢えて知らず。必ず國士を求めば、富弼に如くは無しと。即ち婚を議す。公遂に賢良方正を以て登第す。
現代語訳
富弼がはじめ科挙の場に出たとき、穆修は言った。「進士では君の才を尽くすに足りない。まさに制科によって世に名をなすべきだ」。富弼ははたして礼部の試験に落ちた。西へ帰る途中、范仲淹が人を遣わして富弼を追いかけさせ、言った。「詔があって、制科によって士を取ることになった。急いで戻るがよい」。富弼は都に戻り、范仲淹に会って、まだその学問をしたことがないと言って辞退した。范仲淹は言った。「すでに諸公とともに君を推薦してある。ずっと以前から君のために一室を用意してある。みな制科のための書物である。行ってそこに籠もるがよい」。当時、晏殊が宰相であり、范仲淹に縁組を求めた。范仲淹は言った。「公のお嬢さんが官人に嫁ぐというのなら、仲淹の知るところではない。どうしても国士をお求めなら、富弼にまさる者はありません」。すぐ縁談が整った。富弼はついに賢良方正の科で及第した。
解説
この章句が説くこと
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孫子・地形篇夫れ地形は、兵の助けなり。敵を料りて勝を制し、険厄遠近を計るは、上将の道なり。此を知りて戦いを用うる者は必ず勝ち、此を知らずして戦いを用うる者は必ず敗る。
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『塩鉄論』授時篇大夫曰く、其の地を共にし、是の世に居り、災害疾疫有るに非ずして、獨り貧窮を以てするは、惰に非ざれば則ち奢なり。奇業旁入無くして、而も猶お富給を以てするは、儉に非ざれば則ち力なり。今、惠を施して悅ばしく、刑を行いて樂しまずと曰わば、則ち是れ行い無きの人を閔れみて、惰奢の民を養うなり。故に妄りに予うるは惠と為さず、惡を惠むは仁と為さず。
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孔子家語・七十二弟子解公良儒は、陳の人、字は子正、賢にして勇有り。孔子周行するに、常に家車五乘を以て從えり。
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『鬼谷子』中経中經とは、窮を振るい急に趨き、之を能く言い德厚き人に施すを謂う。物に拘われ窮に執らわるる者は、恩を忘れざるなり。能く言う者は、善を儔とし惠を博くす。德を人に施す者は道に依る。而して拘執を救う者は、小人を養い使う。蓋し士は世に遭い時を異にす。危うくして或いは當に因りて坑を塡むるを免るべく、或いは當に能く言うを伐害すべく、或いは當に德を破りて雄と爲るべく、或いは當に抑え拘えて罪を成すべく、或いは當に戚戚として自ら善くすべく、或いは當に敗敗として自ら立つべし。故に道は人を制するを貴び、人に制せらるるを貴ばざるなり。人を制する者は權を握り、人に制せらるる者は命を失う。
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『宋名臣言行録』前集巻七・范仲淹晏殊、南京を判す。公、大理寺丞を以て憂に丁り、權に西監を掌る。一日、晏曰く、吾に女の笄に及ぶ有り。君に仗りて我が為に婿を擇べと。公曰く、監中に二舉子有り。富皋・張為善なり。皆な文行有り。他日、皆な卿輔に至らん。並びに婿とす可きなりと。晏曰く、然らば則ち孰れか優れると。范曰く、富は修謹、張は疎俊なりと。晏曰く、唯と。即ち富を取りて壻と為す。後に名を改め、即ち弼なり。為善も後に亦た名を更めて方平と云う。
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『宋名臣言行録』後集巻二・富弼公相と爲り、議して稍ミ學校に由りて士を進めんと欲す。侍從の儒臣に命じて法制を講じ立てしむ。太學の諸生、經に明らかに行い修まる者は、右學より左學に升り、左學より上舍に升る。歳終わりに上舍の中の經行尤も髙き者を擇び、及第の人に比して之に命ずるに官を以てす。既に同列と簽して奏す。獨り翰林歐陽永叔・舍人劉原父のみ異論して曰く、是くの如くんば則ち經に通ずる者未だ左學に升らずして、詞賦の者已に髙科に在らんと。事卒に行われず。