宋名臣言行録 / 後集巻九・蘇軾
後移汝州過金陵見介甫甚款子瞻曰軾欲有言於公介甫色動意子瞻辨前日事也公曰所言者天下事也介甫色定曰姑言之公曰大兵大獄漢唐滅亡之兆祖宗以仁厚治天下正欲革此今西方用兵連年不解東南數起大獄公獨無一言以救之乎
新字:後移汝州過金陵見介甫甚款子瞻曰軾欲有言於公介甫色動意子瞻弁前日事也公曰所言者天下事也介甫色定曰姑言之公曰大兵大獄漢唐滅亡之兆祖宗以仁厚治天下正欲革此今西方用兵連年不解東南数起大獄公独無一言以救之乎
書き下し
後に汝州に移り、金陵を過ぎて介甫に見ゆ。甚だ款なり。子瞻曰く、軾公に言う有らんと欲すと。介甫色を動かす。子瞻の前日の事を辨ぜんとするかと意えるなり。公曰く、言う所の者は天下の事なりと。介甫色定まりて曰く、姑く之を言えと。公曰く、大兵大獄は漢唐滅亡の兆なり。祖宗は仁厚を以て天下を治む。正に此を革めんと欲す。今西方兵を用うること連年解けず、東南數ミ大獄を起こす。公獨り一言以て之を救う無きかと。
現代語訳
後に汝州へ移る途中、金陵を通って王安石にまみえた。たいそう打ち解けた。蘇軾は言った。「軾は公に申し上げたいことがあります」。王安石は顔色を変えた。蘇軾が先日の一件について弁明するつもりかと思ったのである。蘇軾は言った。「申し上げるのは天下の事です」。王安石は顔色を落ち着けて言った。「まあ言ってみなさい」。蘇軾は言った。「大きな戦と大きな獄は、漢と唐が滅んだ兆しです。祖宗は仁と厚さで天下を治められました。まさにこれを改めようとされたのです。いま西方では兵を用いることが年を重ねても解けず、東南ではしばしば大きな獄が起こっています。公は一言もこれを救われないのですか」。
解説
自分を獄に落とした側の人と、退いた後に会っています。相手が身構えたのは当然でした。蘇軾が先日の一件について弁明するつもりかと思ったのである。そこを外したのが、この場面の要です。申し上げるのは天下の事です。自分の件は持ち出さない。そのうえで二つだけ挙げました。いま西方では兵を用いることが年を重ねても解けず、東南ではしばしば大きな獄が起こっています。そして退いた人に、動くよう求めています。
この章句が説くこと
後に汝州に移り金陵を過ぎて介甫に見ゆ子瞻の前日の事を弁ぜんとするかと意えるなり言う所の者は天下の事なり大兵大獄は漢唐滅亡の兆なり公独り一言以て之を救う無きか戦獄
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