宋名臣言行録 / 後集巻十二・劉安世
即上疏言前世之主鮮有不以聲色為累至於近之太早御之無節則又不能保固真元增益夀考聖賢所戒可為寒心且世俗間粗有百金之産猶知愛其子孫以為嗣續之託而况國朝百三十年之太平六聖憂勤積累之業陛下繼而有之可不自愛自重以為宗廟社稷無窮之計乎
新字:即上疏言前世之主鮮有不以声色為累至於近之太早御之無節則又不能保固真元增益寿考聖賢所戒可為寒心且世俗間粗有百金之産猶知愛其子孫以為嗣続之託而況国朝百三十年之太平六聖憂勤積累之業陛下継而有之可不自愛自重以為宗廟社稷無窮之計乎
書き下し
即ち疏を上りて言う、前世の主、聲色を以て累と爲さざる者鮮し。之に近づくこと太だ早く、之を御すること節無きに至りては、則ち又た真元を保固し壽考を增益する能わず。聖賢の戒むる所、寒心と爲す可し。且つ世俗の間、粗ミ百金の産有るすら、猶お其の子孫を愛して以て嗣續の託と爲すを知る。而るに况んや國朝百三十年の太平、六聖憂勤積累の業、陛下繼ぎて之を有つをや。自ら愛し自ら重んじて、以て宗廟社稷無窮の計を爲さざる可けんや。
現代語訳
ただちに上疏して述べた。「前代の君主で、音楽と女色によって身を損なわなかった者はまれです。まして近づくのが早すぎ、節度なく身を任せるにいたっては、生まれつきの元気を保つことも、寿命を延ばすこともできません。聖賢が戒めたところであり、ぞっとすべきことです。そのうえ世間では、わずか百金ほどの身代のある者ですら、その子孫をいとおしみ、家を継がせる者として託すことを知っております。ましてわが国の百三十年の太平、六代の天子が憂え励んで積み上げてこられた事業を、陛下が受け継いで保っておられるのです。ご自身を大切になさり、自らを重んじて、宗廟社稷の限りない計をお立てにならずにいられましょうか」。
解説
この章句が説くこと
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『晏子春秋』諫下・景公為鄒之長塗晏子諫景公、路寝の台を築き、三年未だ息まず。又長庲の役を為し、二年未だ息まず。又鄒の長塗を為る。晏子諫めて曰く、「百姓の力勤れたり、公息めざるか」と。公曰く、「塗将に成らんとす、請う成りて之を息めん」と。対えて曰く、「君民の財を屈くす者は其の利を得ず、民力を窮むる者は其の楽しみを得ず。昔者楚の霊王頃宮を作り、三年未だ息まざるなり。又章華の台を為り、五年又息まざるなり。乾溪の役は八年、百姓の力足らずして息む。霊王乾溪に死し、而して民与に帰らず。今君明王の義に遵わず、而して霊王の跡に循う。嬰君に民を暴する行い有り、而して長庲の楽しみを睹ざらんことを懼る、息むるに若かず」と。公曰く、「善し。夫子に非ずんば、寡人百姓に罪を得ること深きを知らざるなり」と。是に於て委壊する勿からしめ、余財は収むる勿く、板を斬りて之を去らしむ。
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『春秋左氏伝』昭公元年 皿蟲を蠱と為す風淫すれば末疾、雨淫すれば腹疾、晦淫すれば惑疾、明淫すれば心疾。女は陽物にして晦時なり。淫すれば則ち内熱惑蠱の疾を生ず。今君節せず時ならず、能く此に及ぶこと無からんや」と。出でて趙孟に告ぐ。趙孟曰く、「誰か良臣に當たる」と。對へて曰く、「主是れを謂ふなり。主晉國に相たること、今に於いて八年、晉國亂無く、諸侯闕くる無し。良と謂ふ可し。和之を聞く、國の大臣は、其の寵祿を榮とし、其の大節を任ず。菑禍興る有りて改むる無くんば、必ず其の咎を受く。今君淫に至りて以って疾を生じ、將に社稷を圖恤すること能はざらんとす。禍孰(いづ)れか焉より大ならん。主禦ぐこと能はず。吾是を以って云ふなり」と。趙孟曰く、「何をか蠱と謂ふ」と。對へて曰く、「淫溺惑亂の生ずる所なり。文に於いて、皿蟲を蠱と為す。穀の飛ぶも亦た蠱と為す。周易に在りては、女男を惑はし、風山を落とす、之を蠱と謂ふ。皆同物なり」と。趙孟曰く、「良醫なり」と。厚く其の禮して之を歸す。
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『晏子春秋』諫下・景公嬖妾死守之三日不斂晏子諫今君賢人の礼に薄くして、嬖妾の哀に厚し。且つ古の聖王は、私を畜うも行いを傷つけず、死を斂むるも愛を失わず、死を送るも哀を失わず。行い傷つけば則ち己に溺れ、愛失えば則ち生を傷つけ、哀失えば則ち性を害す。是の故に聖王之を節するなり。死すれば即ち斂を畢え、生事を留むるを以てせず。棺槨衣衾は、生養を害するを以てせず。哭泣して哀に処るも、生道を害するを以てせず。今朽屍を以て生を留め、広愛を以て行いを傷つけ、哀に循いて以て性を害す、君の失なり。故に諸侯の賓客は、吾が国に入るを慚じ、本朝の臣は、其の職を守るを慚ず。君の行いを崇ぶは、以て民を導く可からず。君の欲に従うは、以て国を持す可からず。且つ嬰之を聞く、朽ちて斂めざる、之を僇屍と謂い、臭いて収めざる、之を陳胔と謂う。明王の性に反し、百姓の誹りを行い、而して内嬖僇胔に委ぬ、此れを之れ不可と為す」と。公曰く、「寡人識らず、請う夫子に因りて之を為さん」と。晏子復して曰く、「国の士大夫、諸侯四鄰の賓客皆外に在り、君其れ哭して之を節せよ」と。仲尼之を聞きて曰く、「星の昭昭たるは、月の曀曀たるに如かず。小事の成るは、大事の廃るるに若かず。君子の非は、小人の是に賢れり、其れ晏子の謂いか」と。
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『春秋左氏伝』襄公四年 和戎の五利少康を立つ。少康、澆を過に滅ぼし、后杼、豷を戈に滅ぼす。有窮、是に由りて遂に亡ぶ。人を失ふが故なり。昔、周の辛甲の大史たるや、百官に命じ、官ごとに王の闕を箴(いまし)めしむ。虞人の箴に於て曰く、『芒芒たる禹の跡、畫して九州と爲し、九道を經啟す。民に寢廟有り、獸に茂草有り。各〻攸(ところ)を處(しめ)る有り、德用(もつ)て擾れず。帝夷羿に在りては、原獸に冒(むさぼ)り、其の國の恤(うれ)ひを忘れて、其の麀牡(ゆうぼ)を思ふ。武は重ぬべからず、用て夏家を恢(ひろ)めず。獸臣原を司る、取りて僕夫に告ぐ』と。虞箴是くの如し。懲りざるべけんや」と。是に於て晉侯田を好む。故に魏絳之に及ぶ。公曰く、「然らば則ち戎に和するに如くは莫きか」と。對へて曰く、「戎に和するに五利有り。戎狄は荐居(せんきょ)し、貨を貴びて土を易(かろ)んず。土賈(か)ふべし。一なり。邊鄙聳(おそ)れず、民其の野に狎れ、穡人(しょくじん)功を成す。二なり。戎狄晉に事へ、四鄰振動し、諸侯威懷す。三なり。德を以て戎を綏んじ、師徒動かず、甲兵頓(つか)れず。四なり。后羿に鑒みて、德度を用ゐ、遠きは至り邇(ちか)きは安んず。五なり。君其れ之を圖れ」と。公說(よろこ)び、魏絳をして諸戎と盟はしむ。民事を脩め、田するに時を以てす。冬、十月、邾人・莒人、鄫を伐つ。臧紇、鄫を救ひ、邾を侵し、狐駘(こたい)に敗る。國人の喪を逆ふる者、皆髽(ざ)す。魯、是に於てか始めて髽す。國人之を誦して曰く、「臧の狐裘、我を狐駘に敗る。我が君は小子、朱儒是れ使ふ。朱儒よ朱儒よ、我をして邾に敗らしむ」と。
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『晏子春秋』雑下・田桓子疑晏子何以辭邑晏子答以君子之事也/景公欲更晏子宅晏子辭以近市得所求諷公省刑景公晏子に邑を賜う。晏子辞す。田桓子晏子に謂いて曰く、「君歓然として子に邑を与う。必ず受けずして以て君を恨ましむるは何ぞや」と。晏子対えて曰く、「嬰聞く、節を上に受くる者は、寵君に長じ、倹を処に居る者は、名外に広しと。夫れ寵を長じ名を広むるは、君子の事なり。嬰独り庸ぞ能く已まんや」と。景公晏子の宅を更めんと欲し、曰く、「子の宅は市に近く、湫隘囂塵にして、以て居る可からず。請う、諸を爽塏なる者に更めん」と。晏子辞して曰く、「君の先臣容る。臣以て之を嗣ぐに足らず。臣に於て侈なり。且つ小人市に近ければ、朝夕求むる所を得。小人の利なり。敢えて裡旅を煩わさんや」と。公笑いて曰く、「子市に近し。貴賤を識るか」と。対えて曰く、「既に竊かに之を利す。敢えて識らざらんや」と。公曰く、「何か貴く何か賤き」と。是の時や、公刑に繁く、踊を鬻ぐ者有り。敵対えて曰く、「踊貴くして屨賤し」と。公愀然として容を改め、公是が為に刑を省く。君子曰く、「仁人の言、其の利博きかな。晏子の一言にして、斉侯刑を省く。詩に曰く、『君子如し祉あらば、乱庶わくは遄やかに已まん』と。其れ是れを之謂うか」と。
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尚書・太甲上厥の止まるところを欽み、乃の祖の行ふ攸(ところ)に率(したが)はば、惟れ朕以て懌(よろこ)び、万世辞有らん」と。王未だ変ずること克はず。伊尹曰く、

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