宋名臣言行録 / 前集巻八・狄青
青作真定副帥嘗宴魏公惟劉易先生與焉易性素踈訐時優人以儒為戲易勃然謂黥卒敢如此詬詈公不絶口至擲樽俎以起公氣殊自若不少動笑語益温次日公首造劉易謝魏公於是時巳知其有量
新字:青作真定副帥嘗宴魏公惟劉易先生与焉易性素踈訐時優人以儒為戯易勃然謂黥卒敢如此詬詈公不絶口至擲樽俎以起公気殊自若不少動笑語益温次日公首造劉易謝魏公於是時巳知其有量
書き下し
青、真定の副帥と作る。嘗て魏公に宴す。惟だ劉易先生のみ與る。易の性は素より踈訐なり。時に優人、儒を以て戲を爲す。易勃然として、黥卒、敢えて此くの如くすと謂う。公を詬詈して口を絶たず。樽俎を擲ちて以て起つに至る。公の氣、殊に自若として、少しも動ぜず。笑語益々温なり。次日、公首として劉易を造りて謝す。魏公、是の時に於て巳に其の量有るを知る。
現代語訳
狄青が真定の副帥となった。あるとき韓琦の宴に出た。ただ劉易先生だけが同席していた。劉易の性質はもともと大まかで無遠慮であった。当時、芸人が儒者を演じて戯れた。劉易は激高して、「刺青の兵卒が、よくもこんなことを」と言った。公を口汚く罵ってやめなかった。杯と皿を投げつけて立ち上がるに至った。公の気は特に落ち着いていて、少しも動じなかった。笑って語ることはますます温和になった。翌日、公のほうから先に劉易を訪ねて詫びた。韓琦はこのときすでに、この人に器量があると知った。
解説
芸人が儒者を演じた席で、居合わせた儒者が激高して**「刺青の兵卒が、よくもこんなことを」**と罵った条です。芸人を出したのは主人のほうです。それでも狄青に向かってきた。**公の気は特に落ち着いていて、少しも動じなかった。笑って語ることはますます温和になった。**そして翌日、**自分のほうから先に訪ねて詫びています。**顔の刺青は、この人が消さなかったものでした。
この章句が説くこと
黥卒敢えて此くの如くすと謂う公を詬詈して口を絶たず公の気殊に自若として少しも動ぜず笑語益々温なり次日公首として劉易を造りて謝す侮辱度量出自
関連する章句
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説苑・尊賢斉の桓公庭燎を設け、士の造り見えんと欲する者の為にす。期年にして士至らず。是に於いて東野の鄙人に九九の術を以て見えんとする者有り。桓公曰く、「九九何ぞ以て見ゆるに足らんや」と。鄙人対えて曰く、「臣九九を以て見ゆるに足れりと為すに非ず、臣聞く、主君庭燎を設けて以て士を待つも、期年にして士至らずと。夫れ士の至らざる所以の者は、君は天下の賢君なり、四方の士、皆自ら論ずるに君に及ばずと以て、故に至らざるなり。夫れ九九は薄能のみなるに、而れども君猶お之を礼す、況んや九九より賢れる者をや。夫れ太山は壌石を辞せず、江海は小流を逆えず、大を成す所以なり」と。詩に云う、「先民言える有り、芻蕘に詢う」と。博く謀ることを言うなり。桓公善しと曰いて、乃ち因りて之を礼す。期月にして四方の士、相携えて並び至る。詩に曰く、「堂より基に徂き、羊より牛に徂く」と。内を以て外に及び、小を以て大に及ぶことを言うなり。
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説苑・復恩楚の荘王群臣に酒を賜ふ、日暮れて酒酣にして、燈燭滅す、乃ち人の美人の衣を引く者有り、美人其の冠纓を援絶して、王に告げて曰く、「今者燭滅え、妾の衣を引く者有り、妾其の冠纓を援け得て之を持てり、趣かに火を来して上げしめ、纓を絶ちし者を視られよ」と。王曰く、「人に酒を賜ひ、酔ひて礼を失はしめしに、奈何ぞ婦人の節を顕して士を辱めんと欲せんや」と。乃ち左右に命じて曰く、「今日寡人と飲みて、冠纓を絶たざる者は懽ならず」と。群臣百有余人皆其の冠纓を絶ち去りて火を上ぐ、卒に尽く懽びて罷む。居ること三年、晋楚と戦ふ、一臣常に前に在り、五合五たび奮ひ、首として敵を卻く、卒に之に勝つを得たり、荘王怪しみて問ひて曰く、「寡人徳薄く、又未だ嘗て子を異にせざるに、子何の故に死に出でて疑はざること是の如きか」と。対へて曰く、「臣当に死すべかりき、往者酔ひて礼を失ひしとき、王隠忍して誅を加へざりき、臣終に敢へて蔭蔽の徳を以て王に顕報せざらんや、常に肝脳を地に塗り、頸血を用ひて敵に湔がんことを願ふこと久し、臣乃ち夜纓を絶ちし者なり」と。遂に晋軍を敗り、楚以て強きを得たり、此れ陰徳有る者は必ず陽報有るなり。
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尚書・秦誓如し一介の臣有りて、斷斷猗として他の技無く、其の心休休焉として、其れ容るる有るが如くんば。
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説苑・尊賢晋の文侯、地を行きて隧に登るに、大夫皆之を扶く。隨会扶けず。文侯曰く、「会よ、夫れ人臣為りて其の君を忍ぶ者は、其の罪奚如ん」と。対えて曰く、「其の罪重死なり」と。文侯曰く、「何をか重死と謂う」と。対えて曰く、「身死し、妻子戮せらる」と。隨会曰く、「君奚ぞ独り人臣為りて其の君を忍ぶ者を問いて、人君為りて其の臣を忍ぶ者を問わざるや」と。文侯曰く、「人君為りて其の臣を忍ぶ者は、其の罪何如ん」と。隨会対えて曰く、「人君為りて其の臣を忍ぶ者は、智士謀を為さず、弁士言を為さず、仁士行を為さず、勇士死を為さず」と。文侯綏を援きて車を下り、大夫に辞して曰く、「寡人に腰髀の病有り、願わくは諸大夫罪する勿かれ」と。