宋名臣言行録 / 後集巻一・韓琦
公為相日曾公為亞相趙康靖歐公為叅政凡事該政令則曰問集賢該典故則曰問東㕔該文學則曰問西㕔至大事則自决之人以為得相體
新字:公為相日曽公為亜相趙康靖欧公為叅政凡事該政令則曰問集賢該典故則曰問東㕔該文学則曰問西㕔至大事則自決之人以為得相体
書き下し
公相と爲るの日、曾公亞相と爲り、趙康靖・歐公參政と爲る。凡そ事の政令に該るときは則ち曰く、集賢に問えと。典故に該るときは則ち曰く、東廳に問えと。文學に該るときは則ち曰く、西廳に問えと。大事に至れば則ち自ら之を決す。人以て相の體を得たりと爲す。
現代語訳
韓琦が宰相であったころ、曾公亮が次席の宰相となり、趙康靖と欧陽脩が参政となった。およそ事が政令に関わるときは「集賢に問え」と言い、故実に関わるときは「東庁に問え」と言い、文学に関わるときは「西庁に問え」と言った。大事に至れば、自分でこれを決めた。人々はこれを、宰相のあるべき姿を得たとした。
解説
五十六字しかない条ですが、上に立つ者の仕事の切り方が全部入っています。政令なら集賢、故実なら東庁、文学なら西庁。**問え、と言って、そこへ回す。**自分が一番詳しいふりをしていません。そのうえで、譲らない領域を一つだけ残しました。**大事に至れば、自分でこれを決めた。**専門の判断は専門家に、決めることは自分に。どちらか一方に寄ると、細部に埋もれる上司か、決めない上司になります。**人々はこれを、宰相のあるべき姿を得たとした。**
この章句が説くこと
事の政令に該るときは則ち曰く集賢に問え典故に該るときは則ち曰く東庁に問え大事に至れば則ち自ら之を決す人以て相の体を得たりと為す委任分担
関連する章句
-
『宋名臣言行録』後集巻一・韓琦公相位に在り、進め用うる所の人は惟だ公議の在る所を以てす。凡そ上前に薦引するも、未だ嘗て輒ち其の語を漏らさず。間ミ上に宣諭有るに因り、或いは同僚談說して、人始めて之を聞く。
-
『宋名臣言行録』後集巻一・韓琦公相と爲りしより、即ち當時の諸公と力を同じくし德を一にし、謀議制作し、天下の士を銓補す。汲引する所、多くは正直にして名有り、或いは忠厚にして風俗を鎮む可き者、公議を以て之を用う。士、何人の門下より出づるかを知る莫し。嘉祐四年、祫享の赦を下すに、事の民に便なる者多し。諸路に命じて學行尤も異なる者を舉げしめ、篤く遣わして京師に詣らしめ、太學に館し、舍人院に試み、使を差して官を授く。柴氏の後を立てて崇義公と爲すは、春秋存亡繼絶の義に法る。才臣を擇びて四方に詣らしめ、民力を寛恤す。戸絶の田租を籍して廣惠倉と爲し、以て賑䘏を廣む。唐・鄧の廢田を耕すを募り、農作を勸課す。守令の治むること最なる者は其の任を久しくし、以て吏課を率う。令敕を裁定して以て疑讞を省き、茶禁を弛めて以て東南の民に便にす。議者以謂えらく、三代の仁義に近しと。多くは公の論議施行する所なり。
-
『宋名臣言行録』前集巻一・趙普始めて相と為るや、太祖、薛居正・呂餘慶に命じて參知政事とし、以て之に副えしむ。印を知らず、事を奏せず、班を押さず、但だ制書を奉行するのみ。事に大小と無く、一に王に決す。開寳中、盧多遜對に因りて屢々其の短を攻む。雷有鄰復た其の吏を庇いて賕を受くるを奏す。上怒りて御史府に下して案問し、吏を罪に抵つ。詔して參知政事をして更めて印を知り班を押し事を奏せしめ、以て其の權を分かつ。
-
『宋名臣言行録』後集巻一・韓琦公の樞副と爲るに及び、石介に慶暦聖德頌有りて曰く、予早く琦を識る。琦に奇骨有り、大事を屬す可し。敦厚なること勃の如しと。後に相と爲る。歐陽永叔の作れる晝錦堂記に曰く、大節に臨み大事に處し、紳を垂れ笏を正し、聲色を動かさずして天下を泰山の安きに措く。社稷の臣と謂う可しと。天下之を傳えて以て知言と爲す。
-
『宋名臣言行録』後集巻一・韓琦詔して復た相州を知らしめ、仍りて闕に赴きて朝覲せしむ。陛辭の日、上從容として政事を訪問す。公因りて言を進む、人を用うるには當に邪正を辨ずべし。治を爲すの本、此より先なるは莫しと。上曰く、侍中は國の龜鑑なり。朕敢えて從わざらんやと。
-
『宋名臣言行録』前集巻五・王曽魏公言う、公、國に當たりて、門下、未だ嘗て一人を顯拔せず。希文、間に乘じて輙ち之を諷して曰く、士類を明揚するは宰相の任なり。公の盛徳、獨り此を少くのみと。公、徐ろに之に應じて曰く、司諌、思わざるか。恩、若し已に出づれば、怨、將に誰にか歸せんとすと。希文惘然として歎じて曰く、真の宰相なりと。