宋名臣言行録 / 後集巻九・蘇軾
温公知免役之害而不知其利欲一切以差役代之方差官置局公亦與其選獨以實告而君實不恱嘗見之政事堂條陳不可温公忿然公曰昔韓公刺陜西義勇公為諌官争之甚力韓公不樂公亦不顧軾昔聞公道其詳豈今日作相不許軾盡言耶温公笑而止
新字:温公知免役之害而不知其利欲一切以差役代之方差官置局公亦与其選独以実告而君実不恱嘗見之政事堂条陳不可温公忿然公曰昔韓公刺陜西義勇公為諌官争之甚力韓公不楽公亦不顧軾昔聞公道其詳豈今日作相不許軾尽言耶温公笑而止
書き下し
温公免役の害を知りて其の利を知らず。一切差役を以て之に代えんと欲す。方に官を差して局を置く。公も亦た其の選に與る。獨り實を以て告ぐ。而して君實悦ばず。嘗て之に政事堂に見えて不可を條陳す。温公忿然たり。公曰く、昔韓公陝西の義勇を刺せしとき、公諫官と爲りて之を爭うこと甚だ力めたり。韓公樂しまざるも公も亦た顧みず。軾昔公の其の詳らかなるを道うを聞けり。豈に今日相と作りて軾の言を盡くすを許さざらんやと。温公笑いて止む。
現代語訳
司馬光は免役の害を知って、その利を知らなかった。一切を差役で置き換えようとした。ちょうど官を選んで局を置くところであった。公もその人選に加わった。ただ一人、実情のとおりに告げた。ところが君実は喜ばなかった。かつて政事堂で会って、できない理由を箇条で述べた。司馬光は憤然とした。公は言った。「昔、韓琦が陝西で義勇を徴したとき、公は諫官としてこれを争うことたいそう力を尽くされました。韓琦は不機嫌でしたが、公は意に介されなかった。軾は昔、公がその詳細を語られるのを聞いております。まさか今日、宰相となって、軾が言い尽くすのをお許しにならないのですか」。司馬光は笑って怒りをおさめた。
解説
同じ側の人に反対したときの、収め方です。正しさで押していません。相手自身の過去を持ち出しました。**昔、韓琦が陝西で義勇を徴したとき、公は諫官としてこれを争うことたいそう力を尽くされました。韓琦は不機嫌でしたが、公は意に介されなかった。**しかもそれは、当人の口から聞いた話でした。**軾は昔、公がその詳細を語られるのを聞いております。**そして立場が入れ替わったことを突きます。**まさか今日、宰相となって。**
この章句が説くこと
温公免役の害を知りて其の利を知らず一切差役を以て之に代えんと欲す公も亦た其の選に与る独り実を以て告ぐ昔韓公陝西の義勇を刺せしとき公諫官と為りて之を争うこと甚だ力めたり豈に今日相と作りて軾の言を尽くすを許さざらんや反対旧話
関連する章句
-
『宋名臣言行録』後集巻十一・范純仁給事中を除せらる。時に哲宗宣仁太后と政を共にす。司馬温公相に入り首めに差役法を改む。公之を聞き人に謂いて曰く、此の事は當に熟く講じて緩やかに行うべし。然らずんば滋ミ民の病と爲らん。且つ宰相の職は人を求むるに在り。法を變ずるは先んずる所に非ざるなりと。朝に還りて力めて温公の爲に之を言う。温公建請する所有り。公復た言う、宰相は當に心を虚しくして以て衆論を延くべし。必ずしも謀の自ら己より出づるを以てせず。謀自ら己より出づれば則ち諂諛は間に乘じて迎合するを得て、正士は將に懷を巻きて退避せんとすと。公と温公と志を同じくすと雖も、事に臨みて矯正する所有ること類ミ此くの如し。是に於いて人皆公の平直に服す。
-
『宋名臣言行録』後集巻九・蘇軾温公免役を改めて差役と爲さんことを議す。差役は祖宗の世に行わる。法久しくして弊多し。編戸の役に充てらるるは官府に習わず。又た虐しく之を使い、多く産を破るを以てす。而して狹鄉の民は或いは休息を得ざる者有り。先帝其の然るを知る。故に免役を爲し、民をして戸の髙下を以て錢を出さしめて役を執るの苦しみ無からしむ。法を行う者上の意に循わず、雇役の實費の外に錢を取ること過多。民遂に以て病めり。若し出を量りて入と爲し、民より多く取る毋くんば則ち足れり。
-
『宋名臣言行録』後集巻十・韓維初め公と王安石と雅ミ相い厚善なり。安石執政するに及び、公國事を議して始めて異同多し。是に至りて議者三經の義を廢せんと欲す。公以爲えらく、安石の經義は宜しく先儒の説と並び行わるべし。當に廢すべからずと。司馬光と公と平生の交わり。俱に耆舊を以て進用せらる。事に臨むに至りては未だ嘗て一語も附合せず。務めて茍同を爲さず。人其の平らかなるに服す。
-
『宋名臣言行録』後集巻七・司馬光上曰く、今天下の詾詾たるは、孫叔敖の所謂國の是有るは衆の惡む所なり、かと。光曰く、然り。陛下は當に其の是非を審察して然る後に之を守るべし。今條例司の爲す所は、獨り安石・韓絳・惠卿のみ以て是と爲し、天下は皆以て非と爲すなり。陛下豈に能く獨り此の三人と共に天下を爲さんやと。遂に退く。
-
『宋名臣言行録』後集巻七・司馬光復た曰く、公は但だ慶暦の陝西の鄉兵の初め手の背に刺し後に皆面に刺して正兵に充てらるるを見る。今復た俑を作るを憂うるのみ。今已に敕榜を降し、民と約して永く軍に充てて邊を戍らしめずと。公曰く、光は終に敢えて奉信せずと。魏公怒りて曰く、君何ぞ相い輕んずること甚だしきやと。公曰く、相公長く此の坐に在らば可なり。萬一逸に均しく藩に偃し他人此に在らば、相公の見成の兵に因りて之を遣わして糧を運び邊を戍らしむるは掌を反すの間のみと。魏公默然として竟に爲に止めず。其の後十年ならずして義勇の糧を運び邊を戍るは率ね以て常と爲り、一に公の言の如し。
-
『宋名臣言行録』後集巻九・蘇軾公言う、頃ろ制科に試みて程に中りし後、英宗即ち便ち知制誥を授けんと欲す。相國韓公曰く、軾の材は遠大の器なり。他日自ら當に天下の用と爲るべし。要は朝廷之を培養し、天下の士をして畏慕降伏せざる莫く、皆朝廷の之を進用せんことを欲せしめ、然る後に取りて之を用うれば則ち人人復た異辭無からん。今驟かに之を用うれば則ち士は未だ必ずしも以て然りと爲さず。適ま以て之を累わすに足るのみと。乃ち直史館を授く。公之を聞きて曰く、韓公は人を愛するに德を以てすと謂う可しと。