宋名臣言行録 / 前集巻一・范質
周恭帝之世有右拾遺直史館鄭起上宰相范質書言太祖得衆心不宜使典禁兵質不聴及太祖入城諸將奉登明徳門太祖命軍士皆釋甲還營太祖亦歸公署釋黄袍俄而將士擁質及王溥魏仁溥等皆至太祖嗚咽流涕曰吾受世宗厚恩今為六軍所逼一旦至此慙負天地將若之何質等未及對軍校羅彦□按劒厲聲曰我輩無主今日必得天子太祖叱之不退質頗誚讓太祖且不肯拜王溥先拜質不得已從之且稱萬嵗周帝内出制書禪位及太宗即位先命□致仕葢薄其為人也又嘗稱質之賢曰惜也但欠世宗一死耳
新字:周恭帝之世有右拾遺直史館鄭起上宰相范質書言太祖得衆心不宜使典禁兵質不聴及太祖入城諸将奉登明徳門太祖命軍士皆釈甲還営太祖亦帰公署釈黄袍俄而将士擁質及王溥魏仁溥等皆至太祖嗚咽流涕曰吾受世宗厚恩今為六軍所逼一旦至此慚負天地将若之何質等未及対軍校羅彦□按劒厲声曰我輩無主今日必得天子太祖叱之不退質頗誚譲太祖且不肯拝王溥先拝質不得已従之且称万歳周帝内出制書禅位及太宗即位先命□致仕葢薄其為人也又嘗称質之賢曰惜也但欠世宗一死耳
書き下し
周の恭帝の世、右拾遺直史館の鄭起有り。宰相范質に上書して言う、太祖衆心を得たり。宜しく禁兵を典らしむべからずと。質聴かず。太祖の城に入るに及び、諸將奉じて明徳門に登る。太祖、軍士に命じて皆な甲を釋きて營に還らしむ。太祖も亦た公署に歸りて黄袍を釋く。俄かにして將士、質及び王溥・魏仁溥等を擁して皆な至る。太祖嗚咽流涕して曰く、吾れ世宗の厚恩を受く。今、六軍の逼る所と為り、一旦此に至る。天地に慙負す。將に之を若何せんと。質等未だ對うるに及ばず。軍校羅彦□劒を按じ厲聲して曰く、我輩主無し。今日必ず天子を得んと。太祖之を叱するも退かず。質頗る誚讓す。太祖且つ拜を肯んぜず。王溥先ず拜す。質已むを得ずして之に從う。且つ萬歳を稱す。周帝内より制書を出だして位を禪る。太宗即位するに及び、先ず□に命じて致仕せしむ。葢し其の人と為りを薄んずればなり。又た嘗て質の賢を稱して曰く、惜しいかな、但だ世宗に一死を欠くのみと。
現代語訳
後周の恭帝の世に、右拾遺・直史館の鄭起という者がいた。宰相の范質に上書して言った。「太祖は人心を得ています。禁軍を預けさせるべきではありません」。范質は聞き入れなかった。太祖が都に入ると、諸将は奉じて明徳門に登った。太祖は軍士に命じてみな鎧を脱いで営に帰らせた。太祖自身も役所に帰って黄色い袍を脱いだ。ほどなく将士たちが范質と王溥・魏仁溥らを取り囲んで連れてきた。太祖はむせび泣いて涙を流して言った。「私は世宗の厚い恩を受けた。いま六軍に迫られて、一朝にしてここに至った。天地に対して恥じ入っている。どうしたらよいのか」。范質らがまだ答えないうちに、軍校の羅彦□が剣に手をかけて声を荒らげた。「我らには主君がいない。今日かならず天子を得る」。太祖が叱っても退かなかった。范質はかなり強く責めた。太祖はなお拝礼を受けようとしなかった。王溥が先に拝礼した。范質はやむを得ずそれに従った。そして万歳を唱えた。後周の帝は内から詔書を出して位を譲った。太宗が即位すると、まず□に命じて引退させた。その人柄を軽んじたからである。また太祖はかつて范質の賢を称えて言った。「惜しいことだ。ただ世宗のために一度死ぬことだけが欠けている」。
解説
この章句が説くこと
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『大和俗訓』巻之五・言語一人をほめ毀ること、つつしんで過不及なかるべし。人の小悪を大悪に言ひなし、小過を大過に言ひなし、虚なることを実に言ひなすは、讒言なり。又左程なきことを、甚しく人をほめ過すも、正直の道にあらず。へつらひて其人に私するなり。誉めそしること、かるがるしくすべからず。たとへば権量を以て、物の軽重をはかるが如くなるべし。一毫もかろくし重くして、過不及あるべからず。誉むべからざる人をほめ、毀るべからざる人をそしり、或はほめ過し、そしり過すは、ともに不智なり。論語に子貢曰、君子は一言以て智とし、一言以て不智とす。言慎まずんばあるべからずといへり。よき人は、許可をつつしむとて、人をみだりにゆるしほめず。されども、小善をもすてず、一芸をも用ふるは、君子のする所なり。
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尉繚子・兵教上民をして国門の限を背にし、死生の分を決せしめ、之に死して疑はざるを教ふる者は、以有るなり。守る者をして必ず固く、戦ふ者をして必ず闘ひ、奸謀作らず、姦民語らず、令行はれて変無く、兵行はれて猜無く、軽き者は霆の若く、敵に奮ふこと驚くが若くせしむ。功を挙げ徳を別つこと、明らかなること白黒の如く、
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『甲陽軍鑑』品第四十爰におひて高坂弾正いはく、人をほむるも、そしるも我位ほどさたする時は被官といへども、よき者へは悪大将心ざし及ばさる故、めもさながらとゞかぬなり、惣別よき大将は三万·四万の人数をつれても五千の敵に気遣給ふ事、主の小人数にて大軍を引請、どこぞのつがひに切てとらんと思ふたる大身のむかしより、いかほど大きく成給ひて後までも気遣なさるゝ事、我意地にあてがひてかくの分なり、
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『配所残筆』配所殘筆(13)如此高ぶりたる事申候と可有之候、然處因州公御事は、御老年と申、御學問之義只今の御大名には無之候、其上紀伊守殿但馬守殿御家に諸家之名高者大勢被召抱、高知之者共罷在候、如斯者共之咄被爲聞、殊更兵學之儀兼而被仰聞候間、拙者躰御噂批判可仕候樣無之候、松浦公御事は因州公より少々御年下に被成御座候、御自分の御文學者無御座候へ共、晝夜書物等被聞召、文武之諸藝儒佛之御勤御怠不被成候、其上當代之古老衆每度御招請被成、御當家上方衆之近代之物語大分被成御存候、近年御家中に諸歷々方高知にて被差置、尤能者共御使立被成候、依て中根宋閑石谷士入常に被申候者、御家中之作法人の御使立被成候樣、若年には珍敷武將にて可有之由、度々被申候を、石谷市郎右衞門殿並拙者抔も承候事に候、然共此御兩公樣御事は、御自分より初御家中御領內迄之御作法御仕置無殘所候樣乍恐奉存候、然に一兩度者時の御挨拶と奉存候、度々被仰聞候事に御座候へば、拙者存念は立候て安堵仕候、拙者事御存被成御方々樣者、御分限不被成御座候、御存無之御方者、無途方者に可被思召候間、拙者事は當分永之浪人と覺悟候故、諸事逼塞仕罷在候所存に御座候由、其節申上候、
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『幽夢影』巻下・君子の鄙しむ所と爲る毋れ寧ろ小人の罵る所と爲るも、君子の鄙しむ所と爲る毋れ。寧ろ盲主司の擯棄する所と爲るも、諸名宿の知らざる所と爲る毋れ。
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論語・子張篇陳子禽、子貢に謂いて曰く、「子は恭を為すなり。仲尼豈に子より賢らんや。」子貢曰く、「君子は一言以て知と為し、一言以て不知と為す。言は慎まざる可からざるなり。夫子の及ぶ可からざるや、猶お天の階して升る可からざるがごときなり。夫子の邦家を得たらば、所謂『之を立つれば斯に立ち、之を道けば斯に行き、之を綏んずれば斯に来たり、之を動かせば斯に和す。其の生くるや栄え、其の死するや哀しむ』。之を如何ぞ其れ及ぶ可けんや。」

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