宋名臣言行録 / 前集巻六・宋庠
公雍雍然有徳之君子也既參大政朝廷無事廟堂之上日閲文史後既登庸天下承平日乆尤務清淨無所作為有為者病之嘗自謂時賢多以不才誚我因為自詠詩曰我本無心士終非濟世材虛舟人莫怒疑虎石當開蚊負愁山重葵傾喜日来欲將嘲強解真意轉悠哉
新字:公雍雍然有徳之君子也既参大政朝廷無事廟堂之上日閲文史後既登庸天下承平日乆尤務清浄無所作為有為者病之嘗自謂時賢多以不才誚我因為自詠詩曰我本無心士終非済世材虚舟人莫怒疑虎石当開蚊負愁山重葵傾喜日来欲将嘲強解真意転悠哉
書き下し
公は雍雍然として徳有るの君子なり。既に大政に參ず。朝廷事無し。廟堂の上、日に文史を閲す。後、既に登庸す。天下承平にして日乆し。尤も清淨を務め、作為する所無し。有為なる者、之を病む。嘗て自ら謂う、時賢、多く不才を以て我を誚ると。因りて自詠の詩を為りて曰く、我は本と無心の士、終に濟世の材に非ず。虛舟に人怒る莫かれ、疑虎に石當に開くべし。蚊は負いて愁え、山は重く、葵は傾きて日の来たるを喜ぶ。將に嘲を以て強いて解かんとするに、真意轉た悠なる哉と。
現代語訳
公はゆったりとして徳のある君子であった。政に参与するようになった。朝廷には事が無かった。廟堂の上で、日々に文と史を読んだ。後に宰相となった。天下は太平で日が久しかった。とりわけ清らかで静かであることに努め、何も作り出さなかった。事を為そうとする者は、それを難じた。かつて自分で言った。「当世の賢者たちは、たいてい才が無いと私を責める」。そこで自らを詠んだ詩を作って言った。「私はもともと無心の士、けっきょく世を救う才ではない。空舟に人よ怒るな、虎と疑った石なら当然に割れよう。蚊は背負って愁え、山は重い。葵は傾いて日の来るのを喜ぶ。嘲りを無理に解こうとしても、まことの意はいよいよ遠くなる」。
解説
何もしないことを責められた宰相が、自分で詩に書いた条です。**私はもともと無心の士、けっきょく世を救う才ではない。**認めています。喩えが二つ入っています。**空舟に人よ怒るな**——人の乗っていない舟がぶつかっても、誰も怒らない。**虎と疑った石なら当然に割れよう**——本気で射れば石にも矢が立つ。締めが正直でした。嘲りを無理に解こうとしても、まことの意はいよいよ遠くなる、と。
この章句が説くこと
我は本と無心の士終に済世の材に非ず虚舟に人怒る莫かれ疑虎に石当に開くべし将に嘲を以て強いて解かんとするに真意転た悠なる哉無為非難弁明
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