宋名臣言行録 / 前集巻十・石介
先生非隠者其仕嘗位於朝矣然魯之人不稱其官而稱其徳以為徂徠魯之望先生魯人之所尊故因其所居之山以配其有徳之稱曰徂徠先生其遇事發憤作為文章極陳古今治亂成敗以指切當世賢愚善惡是是非非無所諱忌世俗頗駭其言由是謗議喧然而小人尤嫉惡之相與出力必擠之死先生安然不惑不變曰吾道固如是吾勇過孟軻矣
新字:先生非隠者其仕嘗位於朝矣然魯之人不称其官而称其徳以為徂徠魯之望先生魯人之所尊故因其所居之山以配其有徳之称曰徂徠先生其遇事発憤作為文章極陳古今治乱成敗以指切当世賢愚善悪是是非非無所諱忌世俗頗駭其言由是謗議喧然而小人尤嫉悪之相与出力必擠之死先生安然不惑不変曰吾道固如是吾勇過孟軻矣
書き下し
先生は隠者に非ず。其の仕うるや嘗て朝に位す。然れども魯の人、其の官を稱せずして其の徳を稱し、以爲えらく徂徠は魯の望なりと。先生は魯人の尊ぶ所なり。故に其の居る所の山に因りて以て其の有徳の稱に配し、徂徠先生と曰う。其の事に遇いて憤りを發し、作りて文章と爲すや、古今の治亂成敗を極陳して、以て當世の賢愚善惡を指切し、是を是とし非を非として、諱忌する所無し。世俗頗る其の言に駭き、是に由りて謗議喧然たり。而して小人尤も之を嫉惡し、相い與に力を出だして必ず之を死に擠さんとす。先生安然として惑わず變ぜずして曰く、吾が道は固より是くの如し。吾が勇は孟軻に過ぐと。
現代語訳
石介は隠者ではない。仕えて朝廷に位を占めたこともある。しかし魯の人々は、その官職ではなく徳のほうを称え、徂徠は魯の仰ぐところだと考えた。石介は魯の人が尊ぶ人であった。だからその住む山の名を、徳ある人の呼び名に重ねて「徂徠先生」と言った。事に出会って憤りを発し、文章を書けば、古今の治乱成敗を余すところなく述べ、当代の賢と愚、善と悪を突き刺し、是を是とし非を非として、はばかるところがなかった。世間はその言葉にひどく驚き、そこから誹謗の議論がやかましく起こった。小人はとりわけこれを憎み、力を合わせて必ず死に追いやろうとした。石介は平然として惑わず変わらず、こう言った。「私の道はもともとこういうものだ。私の勇は孟子に勝る」。
解説
この章句が説くこと
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