宋名臣言行録 / 後集巻二・歐陽修
公長子發娶冲卿之女郎中薛良孺歐陽公之妻族也曩嵗坐舉官不當被劾遷延踰南郊赦赦原良孺由是怨之揚言於衆云公有帷簿之醜朝士以濮議故多疾公由是流布遂廣蔣之竒遂以此事劾之仍言某月日彭思永為臣言上以為無是事之竒伏地叩頭固請以其奏付密院於是公與冲卿皆上章自辨後數日復取其奏以入因謂執政曰言事者以閨門曖昧之事中傷大臣此風不可長乃命之竒思永分析皆無以對俱坐謫官仍敕榜朝堂
新字:公長子発娶冲卿之女郎中薛良孺欧陽公之妻族也曩歳坐舉官不当被劾遷延踰南郊赦赦原良孺由是怨之揚言於衆云公有帷簿之醜朝士以濮議故多疾公由是流布遂広蔣之奇遂以此事劾之仍言某月日彭思永為臣言上以為無是事之奇伏地叩頭固請以其奏付密院於是公与冲卿皆上章自弁後数日復取其奏以入因謂執政曰言事者以閨門曖昧之事中傷大臣此風不可長乃命之奇思永分析皆無以対倶坐謫官仍勅榜朝堂
書き下し
公の長子發、沖卿の女を娶る。郎中薛良孺は歐陽公の妻族なり。曩歳、官を舉ぐるの當たらざるに坐して劾せられ、遷延して南郊の赦を踰ゆ。赦、良孺を原さず。是に由りて之を怨む。衆に揚言して云う、公に帷簿の醜有りと。朝士は濮議の故を以て多く公を疾む。是に由りて流布遂に廣し。蔣之奇遂に此の事を以て之を劾す。仍りて某月日彭思永臣の爲に言うと言う。上以て是の事無しと爲す。之奇地に伏し叩頭して固く請う。其の奏を以て密院に付す。是に於いて公と沖卿と皆章を上りて自ら辨ず。後數日、復た其の奏を取りて以て入る。因りて執政に謂いて曰く、言事者、閨門曖昧の事を以て大臣を中傷す。此の風長ず可からずと。乃ち之奇・思永に命じて分析せしむるに、皆以て對うる無し。俱に謫官に坐し、仍りて朝堂に敕榜す。
現代語訳
欧陽脩の長男の発は、王珪の娘を娶った。郎中の薛良孺は欧陽脩の妻方の親族である。先年、官の推薦が不適切であったことで弾劾され、手続きが延びて南郊の大赦を過ぎた。赦は良孺を許さなかった。これによって欧陽脩を怨んだ。人々に言い触らして「欧陽脩には閨房の醜聞がある」と言った。朝廷の士は濮議のことで多く欧陽脩を憎んでいた。それゆえ噂は広く流布した。蔣之奇はついにこの件で欧陽脩を弾劾した。そのうえで「某月某日に彭思永が臣に語った」と言った。天子はそのような事実はないとした。蔣之奇は地に伏し頭を打ちつけて強く願った。天子はその上奏を枢密院に回した。そこで欧陽脩と王珪はともに上章して自ら弁明した。数日後、天子はまたその上奏を取り寄せた。そして執政に言った。「言論を担う者が、閨房の曖昧な事によって大臣を中傷している。この風潮は伸ばしてはならない」。そこで蔣之奇と彭思永に説明を命じたところ、どちらも答えられなかった。ともに官を落とされ、そのうえ朝堂に告示が掲げられた。
解説
この章句が説くこと
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徒然草・第73段世にかたり伝ふる事、誠は愛なきにや、多くは皆虚言なり。あるにも過ぎて、人はものをいひなすに、まして年月すぎ、境も隔たりぬれば、いひたき侭に語りなして、筆にも書き留めぬれば、やがて定りぬ。道々のものの上手のいみじき事など、かたくななる人の、その道知らぬは、そゞろに神の如くにいへども、道知れる人は更に信も起さず。音にきくと見る時とは、何事も変るものなり。かつ顕はるゝも顧みず、口に任せていひちらすは、やがて浮きたることと聞ゆ。又我も実しからずは思ひながら、人のいひし侭に、鼻の程をごめきて言ふは、その人の虚言にはあらず。げにげにしく、所々うちおぼめき、能く知らぬよしして、さりながら、つまづま合せて語る虚言は、恐ろしき事なり。わが為面目あるやうに言はれぬる虚言は、人いたくあらがはず、皆人の興ずる虚言は、一人さもなかりし物といはむも詮なくて、聞き居たる程に、證人にさへなされて、いとゞ定りぬべし。とにもかくにも虚言多き世なり。唯常にある、珍しからぬ事の侭に心えたらむ、よろづ違ふべからず。下ざまの人のものがたりは、耳驚くことのみあり。よき人はあやしき事を語らず。かくはいへど、仏神の奇特、権者の伝記、さのみ信ぜざるべきにもあらず。これは世俗の虚言を懇に信じたるも、をこがましく、「よもあらじ。」などいふも詮なければ、大方は真しくあひしらひて、偏に信ぜず、また疑ひあざけるべからず。
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『宋名臣言行録』前集巻三・張詠民間、訛言す、白頭の老翁有り、午後に人の男女を食らうと。公、犀浦を召して謂いて曰く、近ごろ訛言、衆を惑わす。汝、縣に歸り去り、市肆の中を訪ね、歸明の人の尚お鄉里の患いと為る者あらば、必ず大いに其の事を言わん。但だ證解を立てて來れと。明日果たして之を得たり。公遂に市に戮す。即日、帖然たり。夜市、故の如し。公曰く、妖訛の興るは、沴氣之に乘ず。妖は則ち形有り、訛は則ち聲有り。訛を止むるの術は、識斷に在りて厭勝に在らずと。
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