宋名臣言行録 / 前集巻七・杜衍
慶厯初上厭西兵之乆出而民弊亟用富韓范而三人者遂欲盡革衆事以修紀綱而小人權倖皆不悦獨公與相佐佑而公尤抑絶僥倖凡内降與恩澤者一切不與每積至十數則連封而面還之或詰責其人至慙恨涕泣而去上嘗謂歐陽修曰外人知杜衍封還内降耶吾居禁中有求恩澤者每以杜衍不可告之而止者多於所封還也其助我多矣此外人及杜衍皆不知也然公與三人者卒皆以此罷去
新字:慶厯初上厭西兵之乆出而民弊亟用富韓范而三人者遂欲尽革衆事以修紀綱而小人権倖皆不悦独公与相佐佑而公尤抑絶僥倖凡内降与恩沢者一切不与毎積至十数則連封而面還之或詰責其人至慙恨涕泣而去上嘗謂欧陽修曰外人知杜衍封還内降耶吾居禁中有求恩沢者毎以杜衍不可告之而止者多於所封還也其助我多矣此外人及杜衍皆不知也然公与三人者卒皆以此罷去
書き下し
慶厯の初め、上、西兵の乆しく出づるを厭いて民の弊るるに、亟かに富・韓・范を用う。而して三人なる者、遂に盡く衆事を革めて以て紀綱を修めんと欲す。而して小人・權倖、皆な悦ばず。獨り公と相い佐佑す。而して公、尤も僥倖を抑絶す。凡そ内降と恩澤なる者、一切與えず。毎に積みて十數に至れば、則ち連封して之を面のあたり還す。或いは其の人を詰責し、慙恨・涕泣して去るに至る。上嘗て歐陽修に謂いて曰く、外人、杜衍の内降を封じ還すを知るか。吾れ禁中に居り、恩澤を求むる者有り。毎に杜衍不可なるを以て之に告げて止む者、封じ還す所より多し。其れ我を助くること多し。此れ外人及び杜衍、皆な知らざるなりと。然れども公と三人なる者と、卒に皆な此を以て罷め去る。
現代語訳
慶暦のはじめ、帝は西方の戦が長引いて民が疲弊しているのを厭い、急いで富弼・韓琦・范仲淹を用いた。そして三人はそこで、あらゆる事を改めて綱紀を立て直そうとした。ところが小人と権勢に近い者たちは、みな喜ばなかった。ただ公だけが彼らを助けた。そして公は、とりわけ思いがけない僥倖を断ち切った。宮中から直接下る内示や恩沢の類は、いっさい実施しなかった。積もって十数通になるたび、まとめて封をして帝に面と向かって返した。あるいはその当人を問い詰めて、恥じ恨み涙を流して去るに至った。帝はかつて欧陽脩に言った。「外の者は、杜衍が内示を封じて返すことを知っているか。私は宮中にいて、恩沢を求める者がある。そのたび杜衍が承知しないだろうと言って告げて、それでやめさせた者のほうが、封じて返された数より多い。あれは私をたいそう助けている。これは外の者も杜衍自身も、知らないことだ」。しかし公と三人は、けっきょくみなこれによって罷免された。
解説
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関連する章句
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『宋名臣言行録』前集巻六・吕夷簡公、韓・富・范の三公を惡み、之を廢せんと欲して能わず。軍興るに韓・范を以て西帥と為し、富を遣わして北に使いせしむ。名は仇を用うるも、實は之を間つなり。又た克たず。軍罷みて老を請う。盡く三公及び宋莒公・夏英公を二府に用う。皆な其の仇なり。又た其の黨賈文元・陳恭公を以て焉を間つ。猶お因りて以て之を傾けんと欲す。范・富を譽めて皆な王佐にして太平を致す可しとす。是に於て天子、再び手詔を賜い、又た天章閣を開きて之に坐するを命ず。紙筆を出だし、時政の當に因革すべき所を疏せしむ。諸公、皆な范・富を推す。退きて草を具えんことを請う。二宦者をして更々往きて之を督せしむ。且つ命じて西北の邉事を領せしむ。既にして各々十數事を條上す。而して監司を易え羣吏を按じ、磨勘を罷め任子を減ず。衆、利あらずして謗り興る。又た范公をして日々に二事を獻ぜしめて以て之を困しむ。京師に城くを請うに及び、人始めて之を笑う。初め、公、去るを求むる毎に、□を以て主意常に未だ厭かずして去る。故に能く三たび入る。老に及びて事に入るも、猶お西北の相い攻むるを問う。大臣をして出でて三邉を行かしめんことを請う。是に於て范公は河東・陜西に使いし、富公は河北に使いす。
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『宋名臣言行録』前集巻七・杜衍公、多く本朝の故實を知り、善く大事を決す。初め邉將、議して大いに舉げて以て夏人を擊たんと欲す。韓公と雖も亦た以て舉ぐ可しと為す。公爭いて以て不可と為す。大臣に、軍を沮むを以て公を罪せんと欲する者有るに至る。然れども兵、後に果たして出づるを得ず。契丹と夏人と、銀瓮族を爭いて黄河の外に大戰す。而して鴈門・麟府皆な警む。范文正、河東を安撫す。兵を以て從わんと欲す。公以為えらく、契丹必ず來らず。兵、妄りに出だす可からずと。范公怒りて、語を以て公を侵すに至る。公、恨みと為さず。後、契丹卒に來らず。
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『宋名臣言行録』後集巻一・韓琦時に仁宗、天下の事多きを以て、治を求むるに急なり。宰相杜衍に手詔して曰く、朕、韓琦・范仲淹・富弼を用う。皆中外の人望なり。施行す可き有らば、宜しく時を以て之を上るべしと。又た天章閣を開き、坐を賜いて急務を咨訪す。公、九事を條す。大畧は、西北を備え、將帥を選び、按察を明らかにし、財用を豐かにし、佞倖を抑え、能有るを進め、不才を退け、冗食を去り、入官を謹むなり。繼いで又た七事を獻ず。議稍く用いらるるも、小人已に側目して安んぜず。二府皆班を合わせて事を奏す。公必ず言を盡くす。事、中書に屬すと雖も、公も亦た上に對して其の實を指陳す。同列尤も恱ばず。獨り仁宗之を識りて曰く、韓琦は性直なりと。
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『宋名臣言行録』前集巻九・孫甫慶歴中、上、杜衍・范仲淹・富弼・韓琦を用いて政事に任ず。而して歐陽修・蔡襄及び甫等を以て諫官と爲す。庶事を更張して太平の功を致さんと欲す。仲淹も亦た皆な力を戮して自ら效し、人主の知に報いんと欲す。然れども同を好み異を惡み、曠然として適莫無き能わず。甫、嘗て家居す。石介、之を過ぐ。介に問う、適ま何許より來るやと。介言う、方に富公を過ぐと。富公、何を爲すかと問う。介曰く、富公言う、滕宗諒、慶州を守り、公使錢を用いて法に坐す。杜公は則ち宗諒を重法に致さんと欲す。然らずんば則ち衍、此に在る能わず。范公は則ち其の罪を薄くせんと欲して曰く、然らずんば則ち仲淹、去らんことを請うと。富公、宗諒を重法に抵てんと欲すれば則ち范公に違うを懼る。其の罪を薄くせんと欲すれば則ち杜公に違うを懼る。是を患いて決する所を知らずと。甫曰く、守道、以爲えらく何如と。介曰く、介も亦た竊かに之を患うと。甫嘆じて曰く、法は人主の操柄なり。今、富公、宗諒を重罪すれば則ち范公に違い、其の罪を薄くすれば則ち杜公に違うを患う。是れ法有るを知らずして、未だ嘗て人主に意在らざるなり。守道、平生、議論を好み、自ら正直と謂う。亦た安んぞ此の言を得んやと。
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『宋名臣言行録』前集巻九・孫甫祁公、樞宻副使と爲り、朝に薦む。祕閣校理を得たり。是の時、天子、方に意を銳くして更めて二三の大臣を用う。乃ち一時の知名の士を極選し、諫官を増置して缺失を補わしむ。公、右正言を以て諫院に居る。上、諫諍を納るるを好み、未だ嘗て言者を罷めず。而して宫禁の事を言うに至りては、他人は猶お委曲に開諷するを須つ。而して公獨り曰く、所謂る后は正嫡なり。其の餘は皆な猶お婢のごときのみ。貴賤に等有り。物を用うるに宜しく過僣なるべからず。古より女色を寵し、初め制せずして後に制する能わざる者、其の禍い悔ゆ可からずと。上、深く之を嘉納す。保州の兵變、前に告ぐる者有り。大臣、時に之を發せず。公、因りて力めて言う、樞宻使副、當に罪を得べしと。使は乃ち杜祁公なり。邉將劉滬、水洛に城くを渭州に於てす。部署尹洙、滬の節度に違うを以て將に之を誅せんとす。大臣、稍や洙の議を主とす。公以謂えらく、水洛は秦・渭を通ず。國家に利あり。滬、罪す可からずと。是に由りて洙を罷めて滬を釋つ。洙は公の平生善しとする所の者なり。公、諫院に在り、言う所の補益尤も多し。是の三つの者は、其の一は人の言い難き所、其の二は人の處し難き所なり。其の後、宰相の某事を以て當に去るべきを言う。上、亟かに爲に之を罷む。因りて陳執中を以て參知政事と爲す。公又た執中の用う可からざるを言う。是に由りて上、之を難んず。公、遂に職を解かんことを求む。
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『宋名臣言行録』前集巻七・杜衍公、相と為る。蔡君謨・孫之翰、諌官と為る。屢々出でんことを乞う。是に於て蔡は福州に除し、之翰は安州なり。公云う、諌官、故無く出づるは、終に美事に非ず。乞う、且く舊に仍らんと。上、之を可とす。退きて聖語を書す。時に陳恭公、執政為り。書するを肯んぜずして曰く、吾れ初め聞かずと。公懼れ、遂に之を焚く。此に由りて遂に相を罷めらる。議する者謂う、公、當に明日を俟ちて審奏すべし。當に遽かに其の書を焚くべからざるなりと。公言う、始め西府に在りしとき、上、毎に訪うに中書の事を以てす。相と為るに及び、中書の事も亦た以て公に訪わずと。因りて言う、君臣の間、能く始終を全うする者は、葢し難きなりと。