宋名臣言行録 / 後集巻七・司馬光
初至和三年仁宗始不豫國嗣未立天下寒心而不敢言惟范鎮首發其議公時通判并州聞而繼之上疏言禮大宗無子則小宗為之後者為之子也願陛下擇宗室賢者使攝儲貳以待皇嗣之生退居籓服不然則典宿衛尹京邑亦足以係天下之望疏三上其一留中其二付中書
新字:初至和三年仁宗始不予国嗣未立天下寒心而不敢言惟范鎮首発其議公時通判并州聞而継之上疏言礼大宗無子則小宗為之後者為之子也願陛下択宗室賢者使摂儲貳以待皇嗣之生退居籓服不然則典宿衛尹京邑亦足以係天下之望疏三上其一留中其二付中書
書き下し
初め至和三年、仁宗始めて豫ならず。國嗣未だ立たず。天下寒心して敢えて言わず。惟だ范鎮のみ首めて其の議を發す。公時に并州を通判す。聞きて之に繼ぎ、上疏して言う、禮に大宗に子無くんば則ち小宗の之が後と爲る者は之が子と爲るなり。願わくは陛下、宗室の賢者を擇び、儲貳を攝せしめて以て皇嗣の生まるるを待て。退きて藩服に居らしめよ。然らずんば則ち宿衛を典り京邑を尹らしむるも、亦た以て天下の望を係くるに足らんと。疏三たび上る。其の一は中に留められ、其の二は中書に付せらる。
現代語訳
はじめ至和三年、仁宗がはじめて病んだ。国の後継ぎがまだ立っていなかった。天下は肝を冷やしながら、あえて口にしなかった。ただ范鎮だけが、まっさきにその議を起こした。司馬光は当時、并州の通判であった。聞いてこれに続き、上疏して言った。「礼では、大宗に子がなければ、小宗からその後を継ぐ者がその子となるとあります。どうか陛下、宗室の賢者を選び、後嗣の位を代理させて、皇子が生まれるのを待ってください。生まれたなら退いて藩の任に就かせればよい。そうでなくとも、近衛を統べさせ都の長官とするだけでも、天下の望みをつなぎとめるに足ります」。上疏は三度に及んだ。その一つは宮中で留め置かれ、二つは中書に回された。
解説
誰も言い出せない話に、後から続いた人の書き方です。まず先に立った人を明記しています。**ただ范鎮だけが、まっさきにその議を起こした。****聞いてこれに続き。**そして提案の形が巧い。正式に立てよ、ではありません。**後嗣の位を代理させて、皇子が生まれるのを待ってください。生まれたなら退いて藩の任に就かせればよい。**さらに代案まで添えました。**近衛を統べさせ都の長官とするだけでも。**呑みやすい形へ、二段階下げてあります。
この章句が説くこと
国嗣未だ立たず天下寒心して敢えて言わず惟だ范鎮のみ首めて其の議を発す公聞きて之に継ぐ宗室の賢者を択び儲貳を摂せしめて以て皇嗣の生まるるを待て然らずんば則ち宿衛を典り京邑を尹らしむるも亦た以て天下の望を係くるに足らん後継段階
関連する章句
-
老子・第11章三十輻は一轂を共にす、其の無に当たりて、車の用有り。埴を埏ねて以て器と為す、其の無に当たりて、器の用有り。戸牖を鑿ちて以て室と為す、其の無に当たりて、室の用有り。故に有の以て利を為すは、無の以て用を為せばなり。
-
論語・顔淵篇子曰く、訟を聴くは、吾猶お人のごときなり。必ずや訟無からしめんか。
-
孫子・九地篇能く士卒の耳目を愚にして、之をして知ること無からしむ。其の事を易え、其の謀を革めて、人をして識ること無からしむ。其の居を易え、其の途を迂にして、人をして慮ることを得ざらしむ。
-
論語・郷党篇公門に入るに、鞠躬如たり、容れられざるが如し。立つに門に中せず、行くに閾を履まず。位を過ぐれば、色勃如たり、足躩如たり、其の言うこと足らざる者に似たり。斉を摂げて堂に升るに、鞠躬如たり、気を屛めて息せざる者に似たり。出でて一等を降れば、顔色を逞くして、怡怡如たり。階を沒くして趨り進むこと、翼如たり。其の位に復れば、踧踖如たり。
-
論語・郷党篇君子は紺緅を以て飾らず、紅紫は以て褻服と為さず。暑に当たりては、袗の絺綌、必ず表して之を出だす。緇衣には羔裘、素衣には麑裘、黄衣には狐裘。褻裘は長く、右袂を短くす。必ず寝衣有り、長さ一身有半。狐貉の厚きを以て居る。喪を去れば、佩びざる所無し。帷裳に非ざれば、必ず之を殺す。羔裘玄冠して、以て弔せず。吉月には、必ず朝服して朝す。
-
孫子・九地篇孫子曰く、凡そ用兵の法は、散地有り、軽地有り、争地有り、交地有り、衢地有り、重地有り、圮地有り、囲地有り、死地有り。