宋名臣言行録 / 前集巻三・陳恕
恕為三司使真宗命具中外錢穀大數以聞恕諾而不進乆之上屢趣之恕終不進上命執政詰之恕曰天子富于春秋若知府庫充實恐生侈心是以不敢進上聞而善之
新字:恕為三司使真宗命具中外銭穀大数以聞恕諾而不進乆之上屢趣之恕終不進上命執政詰之恕曰天子富于春秋若知府庫充実恐生侈心是以不敢進上聞而善之
書き下し
恕、三司使と為る。真宗、中外の錢穀の大數を具えて以て聞せんことを命ず。恕諾して進めず。乆しくして上屢々之を趣す。恕終に進めず。上、執政に命じて之を詰らしむ。恕曰く、天子は春秋に富む。若し府庫の充實を知らば、恐らくは侈心を生ぜん。是を以て敢えて進めずと。上聞きて之を善しとす。
現代語訳
陳恕が三司使であった。真宗は、内外の銭と穀物の総額を整えて報告するよう命じた。陳恕は承知したが差し出さなかった。長いあいだ帝はたびたび催促した。陳恕は最後まで差し出さなかった。帝は執政に命じて問い詰めさせた。陳恕は言った。「天子はお年が若い。もし国庫が満ち足りていることを知られたら、おそらく驕り高ぶる心が生まれるでしょう。だからあえて差し出さないのです」。帝はそれを聞いてよしとした。
解説
命じられた報告書を、最後まで出さなかった条です。理由がはっきりしています。**天子はお年が若い、国庫が満ち足りていると知られたら驕る心が生まれる。**李沆が悪い知らせを毎日上げ続けたのと、裏表の同じ考え方です。片方は困難を見せ続け、片方は余裕を見せない。帝がこれをよしとしたところまで含めて、記録に残っています。
この章句が説くこと
天子は春秋に富む若し府庫の充実を知らば恐らくは侈心を生ぜん恕諾して進めず上聞きて之を善しとす報告数字驕り
関連する章句
-
『宋名臣言行録』前集巻三・陳恕公、計司を總領すること多年。便殿に事を奏する毎に、太宗或いは未だ深く察せずして必ず誚讓を形わす。公板を歛め踧縮して退き、殿壁に至り墻を負いて立ち、容るる所無きが若し。帝の意稍く解くるを俟ちて復た進み、慤かに前奏を執りて終に改易せず。是くの如くすること或いは三四に至る。上、其の忠亮を以て多く其の議に從う。故に當時、稱職を言う者は公之が首と為る。
-
『宋名臣言行録』前集巻三・陳恕世に恕、三司使と為りて茶法を改め、歳計幾んど十倍を増すと稱す。予、三司使と為りし時、其の籍を考う。景徳中、北戎入冦の後より、河北の糴便の法蕩盡す。後、茶利十に其の九を喪う。恕、任に在りて北虜の講解に値う。商人頓に復し、歳課遂に増す。十倍の多しと云うと雖も、之を考うるに尚お未だ舊額に盈たず。今に至るまで稱道するは、葢し不虞の譽なり。
-
『宋名臣言行録』前集巻三・陳恕公、升朝より三司に入りて判官と為り、既にして鹽鐵使と為り、又た總置使と為る。參政を罷むるに洎び、復た三司使と為る。首尾十八年、吏事に精し。朝廷其の才を藉る。晚年、多病にして利權を解かんことを乞う。真宗諭して曰く、卿、一人の代う可き者を求めよと。時に莱公樞使を罷めて班に歸る。公即ち薦めて以て自ら代う。上、萊公を用いて三司使と為し、而して公を以て集賢學士・判院事と為す。莱公省に入り、公の前後の改革興立の事件を檢尋し、類して方冊と為す。是れより計使、其の舊貫に循わざる無し。李諮、三司使と為りて始めて茶法を改む。而して公の規模漸く革まり、向の方冊も亦た稍々除削せらる。今は則ち復た存する無し。
-
『宋名臣言行録』前集巻三・陳恕恕は心計に長ず。鹽鐵使と為り、宿弊を釐去して大いに興利を益す。太宗深く之を器とす。嘗て御筆もて殿柱に題して曰く、真の鹽鐵陳恕と。
-
『宋名臣言行録』前集巻三・陳恕張忠定、邸報を閲す。忽ち再び惜しむ可しと言う。門人李畋、之を請問す。曰く、參政陳恕亡ぶ。斯の人得難し。唯だ公、唯だ正、國家の為に怨みを身に歛む。斯の人得難しと。退きて詩を為りて之を哭す。
-
『宋名臣言行録』前集巻三・陳恕公素より釋氏を喜ばず。嘗て譯經院を廢せんことを請う。辭甚だ激切なり。真宗曰く、三教の興る、其の来ること已に乆し。前代之を毁つ者多し。但だ存して論ぜざるも可なりと。