宋名臣言行録 / 後集巻二・富弼
又用郭逵趙卨宣撫廣南使直搗交趾逵老將與卨議論不同為交趾扼富良江兵不得進瘴死者十餘萬人元豐四年五路大進兵取靈武夏人决黄河水櫃以灌吾軍壘兵將凍溺不戰而自斃者數十萬人又用吕惠卿所薦徐禧築永樂城夏人以大兵破之
新字:又用郭逵趙卨宣撫広南使直搗交趾逵老将与卨議論不同為交趾扼富良江兵不得進瘴死者十余万人元豊四年五路大進兵取霊武夏人決黄河水櫃以灌吾軍塁兵将凍溺不戦而自斃者数十万人又用呂恵卿所薦徐禧築永楽城夏人以大兵破之
書き下し
又た郭逵・趙卨を用いて廣南を宣撫し、直ちに交趾を搗かしむ。逵は老將にして、卨と議論同じからず。交趾の爲に富良江を扼せられ、兵進むを得ず。瘴もて死する者十餘萬人。元豐四年、五路より大いに兵を進めて靈武を取らんとす。夏人黄河の水櫃を決して以て吾が軍壘に灌ぐ。兵將の凍溺し、戰わずして自ら斃るる者數十萬人。又た呂惠卿の薦むる所の徐禧を用いて永樂城を築く。夏人大兵を以て之を破る。
現代語訳
また郭逵と趙卨を用いて広南を宣撫させ、まっすぐ交趾を衝かせた。郭逵は老将で、趙卨と議論が合わなかった。交趾に富良江を押さえられ、兵は進むことができなかった。瘴気にあたって死んだ者は十余万人。元豊四年(一〇八一)、五つの路から大挙して兵を進め、霊武を取ろうとした。夏の人々は黄河の貯水の堤を決壊させて、我が軍の陣に流し込んだ。兵と将で凍え溺れ、戦わずして自ら斃れた者は数十万人。また呂恵卿が推薦した徐禧を用いて永楽城を築いた。夏の人々は大軍をもってこれを破った。
解説
戦果ではなく、死者の数え方で書かれた段です。三つとも、敵と斬り結んで負けたのではありません。交趾に富良江を押さえられ、兵は進むことができなかった。瘴気にあたって死んだ者は十余万人。夏の人々は堤を決壊させて我が軍の陣に流し込んだ。兵と将で凍え溺れ、戦わずして自ら斃れた者は数十万人。進めない場所に大軍を置けば、その土地が兵を殺します。前の巻で韓琦が挙げた岐溝の敗も、糧道の話でした。二十年待て、という助言が容れられなかった代金が、ここに並んでいます。
この章句が説くこと
逵は老将にして卨と議論同じからず交趾の為に富良江を扼せられ兵進むを得ず瘴もて死する者十余万人夏人黄河の水櫃を決して以て吾が軍塁に灌ぐ戦わずして自ら斃るる者数十万人犠牲失敗
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