宋名臣言行録 / 前集巻五・蔡齊
通判濰州民有告某氏刻為税印為姦利者已逾十年蹤跡連蔓至數百人公歎曰盡利于民民無所逃是為政者之過也為緩其獄得減死者十餘人餘皆釋而不問濰人皆曰公徳于我使我自新為善人由是風化大行
新字:通判濰州民有告某氏刻為税印為姦利者已逾十年蹤跡連蔓至数百人公嘆曰尽利于民民無所逃是為政者之過也為緩其獄得減死者十余人余皆釈而不問濰人皆曰公徳于我使我自新為善人由是風化大行
書き下し
濰州に通判たり。民に某氏の税印を刻して姦利を為す者を告ぐる有り。已に十年を逾ゆ。蹤跡連蔓して數百人に至る。公歎じて曰く、利を民に盡くさば、民逃るる所無し。是れ政を為す者の過ちなりと。為に其の獄を緩くす。死を減ずるを得る者十餘人。餘は皆な釋して問わず。濰人皆な曰く、公、我に徳あり、我をして自ら新たにして善人と為らしむと。是に由りて風化大いに行わる。
現代語訳
濰州の通判となった。民の中に、某氏が税の印を偽刻して不正な利を得ていると告発する者があった。もう十年を越えていた。足跡をたどると数百人にまで広がった。公は嘆じて言った。「民から利を取り尽くせば、民には逃げ場が無い。これは政を執る者の過ちだ」。そのために裁きを緩めた。死罪を免れた者が十数人。残りはみな釈放して問わなかった。濰州の人はみな言った。「公は我らに徳を施し、我らに自らを改めて善人にならせてくださった」。これによって、よい気風が大いに行き渡った。
解説
十年続いた偽造事件で、数百人が関わっていた条です。裁く側が最初に言ったのが**「民から利を取り尽くせば、民には逃げ場が無い。これは政を執る者の過ちだ」**でした。数百人が同じことをしているなら、原因は個人ではなく仕組みのほうにある。十数人が死罪を免れ、残りは釈放されました。民の側の受け取り方も残っています。**我らに自らを改めて善人にならせてくださった。**
この章句が説くこと
利を民に尽くさば民逃るる所無し是れ政を為す者の過ちなり我をして自ら新たにして善人と為らしむ量刑原因仕組み
関連する章句
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孟子・離婁章句上孟子曰く、「離婁の明、公輸子の巧も、規矩を以てせざれば、方員を成すこと能わず。師曠の聰も、六律を以てせざれば、五音を正すこと能わず。堯舜の道も、仁政を以てせざれば、天下を平治すること能わず。今、仁心仁聞有りて、而も民其の澤を被らず、後世に法る可からざる者は、先王の道を行わざればなり。故に曰く、『徒善は以て政を為すに足らず、徒法は以て自ら行わるること能わず。』詩に云う、『愆らず忘れず、舊章に率い由る。』先王の法に遵いて過つ者は、未だ之れ有らざるなり。聖人既に目の力を竭くし、之に繼に規矩準繩を以てす。以て方員平直を為すこと、用うるに勝う可からざるなり。既に耳力を竭くし、之に繼ぐに六律を以てす。五音を正すこと、用うるに勝う可からざるなり。既に心思を竭くし、之に繼ぐに人に忍びざるの政をを以てす。而うして仁天下を覆う。故に曰く、『高きを為すには、必ず丘陵に因り、下きを為すには、必ず川澤に因る。』政を為すに、先王の道に因らずんば、智と謂う可けんや。是を以て惟だ仁者のみ宜しく高位に在るべし。不仁にして高位に在るは、是れ其の惡を衆に播するなり。上に道揆無く、下に法守無く、朝は道を信ぜず、工は度を信ぜず、君子は義を犯し、小人は刑を犯して、國の存する所の者は幸いなり。故に曰く、『城郭完からず、兵甲多からざるは、國の災いに非ざるなり。田野辟けず、貨財聚まらざるは、國の害に非ざるなり。』上、禮無く、下、學無ければ、賊民興り、喪ぶること日無けん。詩に曰く、『天の方に蹶(くつがえす)えさんとする、然く泄泄すること無かれ。』泄泄とは、猶ほ沓沓のごときなり。君に事えて義無く、進退禮無く、言えば則ち先王の道を非る者は、猶ほ沓沓のごときなり。故に曰く、『難きを君に責む、之を恭と謂う。善を陳べ邪を閉づる、之を敬と謂う。吾が君能わずとす、之を賊と謂う。』」
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