宋名臣言行録 / 前集巻一・竇儀
儀為翰林學士時趙普専政帝患之欲聞其過一日召儀語及普所為多不法且譽儀早負才望之意儀盛言普開國元勲公忠亮直社稷之重帝不悦儀歸言於諸弟張酒引滿語其故曰我必不能作宰相然亦不詣朱崖吾門可保矣既而召學士盧多遜多遜嘗有憾于普又喜其進用遂攻普之短果罷相出鎮河陽普之罷甚危賴以勲舊脱禍多遜遂參知政事作相太平興國七年普復入相多遜有崖州之行是其言之驗也
新字:儀為翰林学士時趙普専政帝患之欲聞其過一日召儀語及普所為多不法且誉儀早負才望之意儀盛言普開国元勲公忠亮直社稷之重帝不悦儀帰言於諸弟張酒引満語其故曰我必不能作宰相然亦不詣朱崖吾門可保矣既而召学士盧多遜多遜嘗有憾于普又喜其進用遂攻普之短果罷相出鎮河陽普之罷甚危頼以勲旧脱禍多遜遂参知政事作相太平興国七年普復入相多遜有崖州之行是其言之験也
書き下し
儀、翰林學士為りし時、趙普政を専らにす。帝之を患え、其の過ちを聞かんと欲す。一日、儀を召して語りて普の為す所多く不法なるに及ぶ。且つ儀の早くより才望を負うを譽むるの意あり。儀盛んに言う、普は開國の元勲、公忠亮直、社稷の重なりと。帝悦ばず。儀歸りて諸弟に言い、酒を張りて滿を引き、其の故を語りて曰く、我れ必ず宰相と作る能わず。然れども亦た朱崖に詣らじ。吾が門保つ可きのみと。既にして學士盧多遜を召す。多遜嘗て普に憾み有り、又た其の進用を喜ぶ。遂に普の短を攻む。果たして相を罷めて出でて河陽に鎮す。普の罷めらるるや甚だ危うし。勲舊なるに賴りて禍を脱る。多遜遂に參知政事となり相と作る。太平興國七年、普復た相に入る。多遜に崖州の行有り。是れ其の言の驗なり。
現代語訳
竇儀が翰林学士であったとき、趙普が政を独り占めしていた。帝はそれを心配し、その過失を聞きたいと思った。ある日、竇儀を召して語り、趙普のすることの多くが法に外れていると言った。そのうえ、竇儀が早くから才と人望を担ってきたと褒めるふりを見せた。竇儀は力をこめて言った。「趙普は開国の元勲であり、公正で忠実で誠実、社稷の重鎮です」。帝は喜ばなかった。竇儀は帰って弟たちに話し、酒を並べて杯を満たし、そのわけを語った。「私はきっと宰相にはなれまい。だが朱崖へ行くこともあるまい。わが家は保てるはずだ」。ほどなく学士の盧多遜が召された。多遜はかつて趙普に恨みがあり、そのうえ自分が引き上げられるのを喜んだ。そこで趙普の短所を攻めた。はたして趙普は宰相を罷めさせられ、河陽へ出て鎮した。趙普が罷免されたときはたいそう危うかった。勲功ある古参であることに助けられて禍を脱れた。多遜はそれで参知政事となり、宰相となった。太平興国七年、趙普はふたたび宰相に入った。多遜は崖州へ流された。これがその言葉の験である。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
葉隠・聞書第二今時(いまどき)の若き者、女風(おんなふう)になりたがるなり。結構者(けっこうもの)、人愛(じんあい)の有る人、物を破らぬ人柔(やわ)らかなる人と云う様なるを、よき人と取りはやす時代になりたる故(ゆえ)、矛手(ほこて)延びず、突つ切(き)れたる事成らぬなり。第一は身上(しんしょう)を抱留(かかえと)むる合黙(あいもく)が強き故、大事と計り思い、心縮(ちぢ)まると見えたり。其方(そなた)も我が知行にてなく、親の苦労して取立てられたる物を、養子に来て崩し候てはならぬことと、大事に思わるべきが、それは世上(せじょう)の風(ふう)なり。我等(われら)が所存は格別なり。奉公する時分、身上の事などは何とも思わざりしなり。素(もと)より主人のものなれば、大事がり惜しむべき様(よう)無き事なり。我等生(い)くる世の中に、奉公方(ほうこうかた)にて浪人切腹して見すれば本望至極(ほんもうしごく)なり。奉公人の打留(うちど)めは此の二箇条に極(きわ)まりたるものなり。其の中きたな崩れは無念なり。おくれ・不甲斐(ふがい)・私慾(しよく)・人の害になる事などは有るまじき事なり。其の外にては崩すを本望と思うべし。斯くの如く落着くと、其の儘矛手延びて働かれ、勢(いきおい)格別なり。
-
史記 伍子胥列伝伍子胥は、楚人なり、名は員。員の父は伍奢と曰ふ。員の兄は伍尚と曰ふ。其の先は伍挙と曰ひ、直諫を以て楚の荘王に事へて、顕るる有り、故に其の後世は楚に名有り。楚の平王に太子有り、名を建と曰ふ。伍奢をして太傅と為し、費無忌をして少傅と為さしむ。無忌、太子建に忠ならず。平王、無忌をして太子の為に婦を秦より取らしむ。秦の女好し、無忌馳せて帰り、平王に報じて曰く、「秦の女は絶だ美なり、王自ら取る可し、而して更に太子の為に婦を取れ」と。平王遂に自ら秦の女を取りて絶だ之を愛幸し、子の軫を生む。更に太子の為に婦を取る。
-
『韓非子』問田第四十二亂主闇上の患禍を憚らずして、必ず以て民萌の資利を齊えんと思うは、仁智の行なり。...亂主闇上の患禍を憚りて、死亡の害を避け、...は、貪鄙の為なり。
-
論語・陽貨篇子曰く、鄙夫は、与に君に事う可けんや。其の未だ之を得ざるや、之を得んことを患う。既に之を得れば、之を失わんことを患う。苟くも之を失わんことを患えば、至らざる所無し。
-
『宋名臣言行録』前集巻三・張詠公、陳に在り。一日、方に食す。邸報至る。公且つ食らい且つ讀む。既にして案を抵ちて慟哭すること之を乆しくす。哭止みて復た彈指すること乆し。彈止みて罵詈すること乆し。乃ち丁謂の萊公を逐えばなり。公自ら禍いの必ず己に及ぶを知り、乃ち三大戸を便坐に延き、之と博す。䄂間より彩骰子を出だし、其の一坐に勝つ。乃ち田宅を買いて歸計と為し、以て自ら汙す。晉公之を聞きて亦た害せざるなり。余謂えらく、此れ智者は之を為し、賢者は為さざるなり。賢者は義有るのみ。寧んぞ禍いを避けんや。禍い豈に避く可けんや。
-
葉隠・聞書第一勘定者(かんじょうもの)はすくたるる者なり。仔細(しさい)は、勘定は損得の考(かんがえ)するものなれば、常に損得の心絶えざるなり。死は損、生は得なれば、死ぬる事をすかぬ故、すくたるるものなり。又、学問者(がくもんしゃ)は才智弁口(さいちべんこう)にて、本体(ほんたい)の臆病(おくびょう)・欲心などを仕かくすものなり。人の見誤(みあやま)る所なり。