宋名臣言行録 / 後集巻十三・陳瓘
嘗為别試所主文林自謂蔡卞曰聞陳瓘欲盡取史學而黜通經之士意欲沮壞國是而動摇荆公之學也卞既積怒謀因此害公而遂禁絶史學計畫巳定唯候公所取士求疵立説而行之公固預料其如此乃於前五名悉取談經及純用王氏之學者卞無以發然五名之下往往皆博洽稽古之士也公嘗曰當時若無矯揉則勢必相激史學往往遂廢矣故隨時所以救時不必取快目前也
新字:嘗為別試所主文林自謂蔡卞曰聞陳瓘欲尽取史学而黜通経之士意欲沮壊国是而動摇荆公之学也卞既積怒謀因此害公而遂禁絶史学計画巳定唯候公所取士求疵立説而行之公固預料其如此乃於前五名悉取談経及純用王氏之学者卞無以発然五名之下往往皆博洽稽古之士也公嘗曰当時若無矯揉則勢必相激史学往往遂廃矣故随時所以救時不必取快目前也
書き下し
嘗て別試所の主文と爲る。林自蔡卞に謂いて曰く、聞くならく、陳瓘は盡く史學を取りて經に通ずるの士を黜けんと欲す。意は國是を沮壞して荊公の學を動搖せしめんと欲するなり、と。卞既に怒りを積み、此に因りて公を害し、遂に史學を禁絶せんことを謀る。計畫已に定まる。唯だ公の取る所の士を候ちて、疵を求め説を立てて之を行わんとするのみ。公固より其の此くの如きを預料す。乃ち前の五名に於いて悉く經を談じ、及び純ら王氏の學を用うる者を取る。卞發する無し。然れども五名の下は往往にして皆な博洽稽古の士なり。公嘗て曰く、當時若し矯揉無くんば、則ち勢い必ず相い激し、史學往往にして遂に廢せん。故に時に隨うは時を救う所以なり。必ずしも快を目前に取らざるなり、と。
現代語訳
かつて別試所の主任試験官となった。林自は蔡卞に言った。「聞くところでは、陳瓘は史学の者ばかり合格させて、経書に通じた士を落とそうとしているとか。その意図は国是を壊し、王安石の学を揺るがそうというものです」。蔡卞はすでに怒りを積み重ねており、これを口実に陳瓘を陥れ、そのまま史学を禁絶しようと謀った。計画はすでに定まっていた。ただ陳瓘の合格させる士人を待って、粗を探し理屈をこしらえて実行しようというだけであった。陳瓘はもとよりこうなることを予測していた。そこで上位五名には、ことごとく経書を論じる者、それも純粋に王安石の学を用いる者を取った。蔡卞は手が出せなかった。しかし五名より下は、たいてい皆、広く学び古を調べる士であった。陳瓘はかつて言った。「あのとき、もし曲げて合わせることをしなかったら、勢いは必ず衝突し、史学はそのまま廃れてしまっただろう。だから時に従うのは、時を救うためである。目の前の痛快さを取る必要はない」。
解説
この章句が説くこと
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『甲陽軍鑑』品第四十三右三対六人の人陣の時大に嫌ふ人也△陣の時大将崇敬なさるゝ人一対づゝ五対合十人一才覚有りて勘定たけく、能き智恵深く、能く損徳の考して理非の二ツには理の方へ近く分別して、蔵よく賂ふ人の事、是一対二人也一心すくやかにて、まなこきゝて分別·才覚有て武道にさかしく、よく物いふ人の事一縦ひ無才覚なり共、分別なく共、物いふ事速かになく共、口わろく共、無能なり共、ねてもさめても武道心がくる人ありて左様のものを大将のみしり給ひ、念比なさるればことくく諸傍輩武篇を心がくる也、
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