宋名臣言行録 / 後集巻一・韓琦
英宗遇貂璫少恩禮左右不恱多道禁中隱密者雖大臣亦心惑之公獨屹然不動昌言於衆曰豈有前殿不曾差了一語而一入宫門得許多錯來琦深疑此事□前亦屢以此為對自爾人情知公意不搖妄傳語言者遂息
新字:英宗遇貂璫少恩礼左右不恱多道禁中隠密者雖大臣亦心惑之公独屹然不動昌言於衆曰豈有前殿不曽差了一語而一入宫門得許多錯来琦深疑此事□前亦屢以此為対自爾人情知公意不揺妄伝語言者遂息
書き下し
英宗、貂璫に遇するに恩禮少なし。左右悦ばず、多く禁中隱密の者を道う。大臣と雖も亦た心之に惑う。公獨り屹然として動かず、衆に昌言して曰く、豈に前殿にて曾て一語も差えざるに、一たび宮門に入りて許多の錯を得來たる有らんやと。琦深く此の事を疑う。□前にも亦た屢ミ此を以て對と爲す。爾れより人情、公の意搖がざるを知り、妄りに語言を傳うる者遂に息む。
現代語訳
英宗は宦官たちに対する扱いが手厚くなかった。側近たちは面白くなく、宮中の内密な事をあれこれ言いふらした。大臣であってもこれに心を惑わされた。韓琦ひとりは山のように動かず、みなの前ではっきりと言った。「表の殿では一言も言い誤らなかった人が、ひとたび宮門を入ったとたんに、そんなに多くの誤りを重ねるということがあろうか」。韓琦はこの噂を深く疑っていた。〔一字を欠く〕以前にもたびたびこれをもって答えとした。これ以来、人々は韓琦の考えが揺るがないと知り、みだりに言葉を伝える者もついにやんだ。
解説
噂の中身を一つずつ否定していません。噂の作られ方のほうを疑いました。**表の殿では一言も言い誤らなかった人が、宮門を入ったとたんに、そんなに多くの誤りを重ねるということがあろうか。**同じ人が場所を変えただけで別人になるはずがない。だとすれば、変わったのは人ではなく、伝える側だという理屈です。しかも一度だけでなく、たびたび同じ答えを繰り返しました。**人々は韓琦の考えが揺るがないと知り、みだりに伝える者もやんだ。**噂は、受け取る側が動かないと止まります。
この章句が説くこと
豈に前殿にて曽て一語も差えざるに一たび宮門に入りて許多の錯を得来たる有らんや琦深く此の事を疑う人情公の意揺がざるを知り妄りに語言を伝うる者遂に息む噂判断動揺
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