宋名臣言行録 / 後集巻八・吕公著
若詰青苗之害則曰常平泉穀以禦水旱而貪散以求利至十之七八國失拯捄之備而民之責償被笞箠者衆責興利之弊則曰大傷鄙細有損國體戒用兵之失則曰南安西師兵夫死傷者皆不下二十萬有司失一死罪其責不輕今無罪置數十萬人於死地朝廷不得不任其咎
新字:若詰青苗之害則曰常平泉穀以禦水旱而貪散以求利至十之七八国失拯捄之備而民之責償被笞箠者衆責興利之弊則曰大傷鄙細有損国体戒用兵之失則曰南安西師兵夫死傷者皆不下二十万有司失一死罪其責不軽今無罪置数十万人於死地朝廷不得不任其咎
書き下し
若し青苗の害を詰るは則ち曰く、常平の泉穀は以て水旱を禦ぐ。而るに貪りて散じて利を求め十の七八に至る。國は拯救の備えを失い、民の償を責められて笞箠を被る者衆しと。興利の弊を責むるは則ち曰く、大いに鄙細を傷り國體を損ずる有りと。用兵の失を戒むるは則ち曰く、南は安、西は師す。兵夫の死傷する者は皆二十萬を下らず。有司一死罪を失えば其の責軽からず。今罪無くして數十萬人を死地に置く。朝廷其の咎に任ぜざるを得ずと。
現代語訳
青苗の害を問い詰めた詔にはこうある。「常平の銭と穀は、水害と旱害を防ぐためのものである。それなのに貪って貸し出して利を求め、十のうち七八にまで及んだ。国は救済の備えを失い、民は返済を責められて笞や杖を受ける者が多い」。利を興すことの弊害を責めた詔にはこうある。「大いに賤しく細かなところを傷つけ、国の体面を損なうところがある」。兵を用いた失敗を戒めた詔にはこうある。「南は安南、西は西夏に出兵した。兵と人夫で死傷した者は、いずれも二十万を下らない。担当の役所が一つの死罪を誤れば、その責めは軽くない。いま罪のない数十万人を死地に置いた。朝廷はその咎を負わないわけにいかない」。
解説
三つとも、先帝自身の詔の言葉です。だから引用の形で並べられています。青苗については、目的と実態のずれを数字で言いました。**常平の銭と穀は、水害と旱害を防ぐためのものである。それなのに貪って貸し出して利を求め、十のうち七八にまで及んだ。**そして兵の件が最も重い。**担当の役所が一つの死罪を誤れば、その責めは軽くない。いま罪のない数十万人を死地に置いた。**一件の誤審と、数十万の死とを同じ物差しに乗せています。
この章句が説くこと
常平の泉穀は以て水旱を禦ぐ而るに貪りて散じて利を求め十の七八に至る国は拯救の備えを失い民の償を責められて笞箠を被る者衆し有司一死罪を失えば其の責軽からず今罪無くして数十万人を死地に置く朝廷其の咎に任ぜざるを得ず詔自省
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