宋名臣言行録 / 後集巻八・吕公著
公知貢舉在貢院密上奏曰天子臨軒䇿士而用詩賦非舉賢求治之意且近世有司考校已專用䇿論今來殿試欲乞出自宸衷惟以詔䇿咨訪治道是嵗上臨軒遂以䇿試進士
新字:公知貢舉在貢院密上奏曰天子臨軒策士而用詩賦非舉賢求治之意且近世有司考校已専用策論今来殿試欲乞出自宸衷惟以詔策咨訪治道是歳上臨軒遂以策試進士
書き下し
公貢舉を知す。貢院に在りて密かに上奏して曰く、天子軒に臨みて士に策するに詩賦を用うるは、賢を舉げ治を求むるの意に非ず。且つ近世の有司の考校は已に專ら策論を用う。今來の殿試は宸衷より出づるを欲す。惟だ詔策を以て治道を咨訪せんことをと。是の歳上軒に臨み、遂に策を以て進士を試す。
現代語訳
公は科挙の試験を統轄した。貢院にあって、ひそかに上奏して言った。「天子が御殿の端に臨んで士を試されるのに詩と賦を用いるのは、賢者を挙げ治を求める趣旨ではありません。そのうえ近ごろの担当の役所の採点は、すでにもっぱら策と論を用いております。このたびの殿試は、陛下ご自身のお考えから出ることを望みます。ただ詔と策によって、治める道をお尋ねください」。この年、天子は御殿の端に臨み、ついに策によって進士を試した。
解説
最終試験だけが、下の段階と食い違っていました。**近ごろの担当の役所の採点は、すでにもっぱら策と論を用いております。**途中まで実務の議論で選んでおいて、最後に詩と賦で決める。しかもその最後を天子が自ら行います。**天子が御殿の端に臨んで士を試されるのに詩と賦を用いるのは、賢者を挙げ治を求める趣旨ではありません。**何を問うかは、何を求めているかの表明です。この年から、問いが策に変わりました。
この章句が説くこと
公貢舉を知す貢院に在りて密かに上奏す天子軒に臨みて士に策するに詩賦を用うるは賢を舉げ治を求むるの意に非ず且つ近世の有司の考校は已に専ら策論を用う惟だ詔策を以て治道を咨訪せんことを科挙試験
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