宋名臣言行録 / 後集巻九・曾鞏
通判越州嵗饑度常平不足以賑給而田居野處之人不能皆至城郭至者羣聚有疾厲之虞前期喻屬縣召富人使自實粟數摠得十五萬石視常平價稍増以予民民得從便受粟不出田里而食有餘粟價為平
新字:通判越州歳饑度常平不足以賑給而田居野処之人不能皆至城郭至者羣聚有疾厲之虞前期喻属県召富人使自実粟数摠得十五万石視常平価稍増以予民民得従便受粟不出田里而食有余粟価為平
書き下し
越州を通判す。歳饑う。常平の以て賑給するに足らざるを度り、而して田に居り野に處る人は皆城郭に至る能わず。至る者は羣聚して疾癘の虞れ有り。期に前んじて屬縣に喩し、富人を召して其の粟の數を自ら實せしむ。摠て十五萬石を得たり。常平の價を視て稍ミ增して以て民に予う。民便に從いて粟を受くるを得、田里を出でずして食に餘り有り。粟の價爲に平らかとなる。
現代語訳
越州の通判となった。年が飢えた。常平の蓄えでは救済に足りないと見積もり、しかも田に住み野で暮らす人は、みな城郭まで来ることができない。来た者は群れ集まって疫病の恐れがある。期日に先立って属する県に伝え、富める者を呼んでその粟の数を自ら申告させた。合わせて十五万石を得た。常平の値を見て少しだけ上乗せして民に与えた。民は都合のよいところで粟を受け取ることができ、村里を出ないで食べるものに余りがあった。粟の値はそのために落ち着いた。
解説
救済の設計が、三つの問題を一度に解いています。まず量が足りない。だから民間の粟を出させました。次に、遠い人は取りに来られない。**田に住み野で暮らす人は、みな城郭まで来ることができない。**そして来られた人は集まりすぎて危ない。**来た者は群れ集まって疫病の恐れがある。**答えが、配る場所を散らすことでした。**民は都合のよいところで粟を受け取ることができ、村里を出ないで食べるものに余りがあった。**
この章句が説くこと
歳饑う常平の以て賑給するに足らざるを度る田に居り野に処る人は皆城郭に至る能わず至る者は羣聚して疾癘の虞れ有り富人を召して其の粟の数を自ら実せしむ摠て十五万石を得たり民便に従いて粟を受くるを得田里を出でずして食に余り有り飢饉分散
関連する章句
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李衛公問対・卷下分かつべくして分たざるは、縻軍と為る。聚まるべくして聚まらざるは、孤旅と為る。
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