宋名臣言行録 / 前集巻七・范仲淹
公處南都學舍晝夜苦學五年未嘗解衣就寢夜或昬怠輙以水沃面往往饘粥不充日昃始食同舍生或饋珍饍皆拒不受
新字:公処南都学舎昼夜苦学五年未嘗解衣就寝夜或昏怠輙以水沃面往往饘粥不充日昃始食同舎生或饋珍饍皆拒不受
書き下し
公、南都の學舍に處る。晝夜苦學すること五年、未だ嘗て衣を解きて寢に就かず。夜、或いは昬怠すれば、輙ち水を以て面に沃ぐ。往往にして饘粥充たず、日昃きて始めて食う。同舍生、或いは珍饍を饋る。皆な拒みて受けず。
現代語訳
公は南都の学舎にいた。昼も夜も苦学すること五年、一度も衣を解いて寝床に就かなかった。夜、眠気で怠りそうになると、そのたび水を顔に注いだ。しばしば粥も足りず、日が傾いてからやっと食べた。同じ学舎の学生の中に、珍しい御馳走を贈る者があった。どれも断って受け取らなかった。
解説
前の条の「人の堪えられない」暮らしを、具体に落とした条です。**五年、一度も衣を解いて寝床に就かなかった。眠気で怠りそうになると、水を顔に注いだ。粥も足りず、日が傾いてからやっと食べた。**そして最後の一行が効きます。**御馳走を贈る者があったが、どれも断って受け取らなかった。**貰えば楽になる場面で、断っている。苦しさを選び続けたことのほうが、この条の中身です。
この章句が説くこと
昼夜苦学すること五年未だ嘗て衣を解きて寝に就かず夜或いは昏怠すれば輙ち水を以て面に沃ぐ同舎生或いは珍饍を饋る皆な拒みて受けず苦学自律施し
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