宋名臣言行録 / 後集巻八・吕公著
公晚多讀釋氏書益究禪理温公博學有志行而獨不喜佛公毎勸其留意且曰所謂佛學者直貴其心術簡要爾非必事事服習為方外人也
新字:公晩多読釈氏書益究禅理温公博学有志行而独不喜仏公毎勧其留意且曰所謂仏学者直貴其心術簡要爾非必事事服習為方外人也
書き下し
公晩に多く釋氏の書を讀み、益ミ禪理を究む。温公は博學にして志行有るも獨り佛を喜ばず。公毎に其の留意せんことを勸め、且つ曰く、所謂佛學なる者は直だ其の心術の簡要なるを貴ぶのみ。必ずしも事事服習して方外の人と爲るに非ざるなりと。
現代語訳
公は晩年に多く仏書を読み、いよいよ禅の理を究めた。司馬光は博学で志と行いがあったが、ただ仏を好まなかった。公はそのたびに心を向けるよう勧め、そのうえで言った。「いわゆる仏学というものは、ただその心の使い方が簡潔で要を得ているところを貴ぶだけである。何もかも身につけて世の外の人になろうというのではない」。
解説
嫌っている相手に、勧め方を変えた条です。信じよ、とは言っていません。取るべき一点だけを示しました。**その心の使い方が簡潔で要を得ているところを貴ぶだけである。**そして、相手が心配していることを先回りして打ち消します。**何もかも身につけて世の外の人になろうというのではない。**司馬光が仏を避けたのは、世を捨てる方へ行くからでした。そこは行かない、と線を引いたうえで勧めています。
この章句が説くこと
公晩に多く釈氏の書を読み益ミ禅理を究む温公は博学にして志行有るも独り仏を喜ばず所謂仏学なる者は直だ其の心術の簡要なるを貴ぶのみ必ずしも事事服習して方外の人と為るに非ざるなり仏教取捨
関連する章句
-
『宋名臣言行録』後集巻七・司馬光公の學を好むこと飢渇の飲食を嗜むが如し。財利紛華に於いては惡臭を惡むが如し。誠心自然にして天下之を信ず。洛に退居し、陝洛の間を往來する者は皆其の德に化し、其の學を師とし、其の儉に法る。不善有らば曰く、君實得無く之を知らんかと。博學にして通ぜざる無し。音樂・律暦・天文・書數皆其の妙を極む。晩節尤も禮を好み、冠婚喪祭の法を爲して古今の宜しきに適う。釋老を喜ばず。曰く、其の微言は吾が書を出づる能わず。其の誕は吾信ぜずと。生産を事とせず。第を洛中に買うも僅かに風□を庇う。田三頃有り。躬ら庶務に親しみ晝夜を舎かず。
-
『宋名臣言行録』後集巻五・范鎮東坡云う、景仁は平生佛を好まず。晚年清愼、嗜慾を減節し、一物も心に芥蔕せず。却って是れ學佛の作家なり。然れども死に至るまで佛法を取らずと。
-
『宋名臣言行録』後集巻八・吕公著温公病中に公に簡して曰く、晦叔は結髮より學に志し、仕えて之を行い、端方忠厚にして天下仰服す。老いに垂んとして乃ち政を秉るを得たり。平生蘊む所、今日に施さずんば將に何をか俟たんや。比日以來、物論頗る晦叔の慎默太だ過ぐるを譏る。若し此の際に復た廷爭せずして事蹉跌せば、則ち彼の朋に入らん。光病みてより以來、悉く身を醫に付し家事を康に付す。惟だ國事のみ未だ屬する所有らず。今日晦叔に屬せりと。
-
『宋名臣言行録』後集巻十二・劉安世温公薦めて館職に充つ。因りて公に謂いて曰く、相い薦むる所以を知るや否や、と。公曰く、公に從いて遊ぶを獲ること舊し、と。温公曰く、非なり。光閒に居るとき、足下時節の問訊絶えず。光政府に位するとき、足下獨り書無し。此れ光の相い薦むる所以なり、と。
-
『宋名臣言行録』後集巻七・司馬光上晦叔に謂いて曰く、司馬光は方直なり。其の迂闊なるを如何せんと。晦叔曰く、孔子は上聖なるも子路すら猶お之を迂と謂う。孟軻は大賢なるも時人も亦た之を迂闊と謂う。况んや光、豈に此の名を免れんや。大抵事を慮ること深遠なれば則ち迂に近し。願わくは陛下更に之を察せよと。
-
『宋名臣言行録』後集巻九・蘇軾温公免役の害を知りて其の利を知らず。一切差役を以て之に代えんと欲す。方に官を差して局を置く。公も亦た其の選に與る。獨り實を以て告ぐ。而して君實悦ばず。嘗て之に政事堂に見えて不可を條陳す。温公忿然たり。公曰く、昔韓公陝西の義勇を刺せしとき、公諫官と爲りて之を爭うこと甚だ力めたり。韓公樂しまざるも公も亦た顧みず。軾昔公の其の詳らかなるを道うを聞けり。豈に今日相と作りて軾の言を盡くすを許さざらんやと。温公笑いて止む。