宋名臣言行録 / 後集巻二・歐陽修
英宗之喪歐公於衰絰之下服紫地皂花緊絲袍以入臨劉庠奏乞貶責上遣使語歐陽公使易之歐陽公拜伏面謝
新字:英宗之喪欧公於衰絰之下服紫地皂花緊糸袍以入臨劉庠奏乞貶責上遣使語欧陽公使易之欧陽公拝伏面謝
書き下し
英宗の喪、歐公衰絰の下に紫地皂花緊絲の袍を服して以て入りて臨む。劉庠奏して貶責せんことを乞う。上、使いを遣わして歐陽公に語りて之を易えしむ。歐陽公拜伏して面謝す。
現代語訳
英宗の喪のとき、欧陽脩は喪服の下に、紫地に黒い花模様の緊絲の袍を着て、そのまま入って弔問に臨んだ。劉庠が奏上して貶し責めるよう願った。天子は使いを遣わして欧陽脩に告げ、着替えさせた。欧陽脩は拝伏して、面と向かって詫びた。
解説
四十五字の、短い落ち度の記録です。喪服の下ですから、見えるか見えないかの話でした。弾劾されて、天子は罰していません。**使いを遣わして告げ、着替えさせた。**処分でなく、その場で直させただけです。そして受け方が短い。**拝伏して、面と向かって詫びた。**言い訳も、下だから見えない、という反論もありません。この巻には、この人が偽の上奏で陥れられ、身内の裁判に巻き込まれた条が並んでいます。本当の落ち度は、こうやってあっさり書かれています。
この章句が説くこと
欧公衰絰の下に紫地皂花緊糸の袍を服して以て入りて臨む劉庠奏して貶責せんことを乞う上使いを遣わして欧陽公に語りて之を易えしむ欧陽公拝伏して面謝す落ち度指摘
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