宋名臣言行録 / 前集巻九・尹洙
師魯當天下無事時獨喜論兵爲叙燕息戍二篇行於世自西兵起凡五六嵗未嘗不在其間故於西事尤習其詳欲訓土兵代戍卒以减邉用爲禦戎長乆之䇿皆未及施爲而元昊臣西兵解嚴師魯亦去而得罪矣
新字:師魯当天下無事時独喜論兵為叙燕息戍二篇行於世自西兵起凡五六歳未嘗不在其間故於西事尤習其詳欲訓土兵代戍卒以减邉用為禦戎長乆之策皆未及施為而元昊臣西兵解厳師魯亦去而得罪矣
書き下し
師魯、天下無事の時に當たり、獨り兵を論ずるを喜ぶ。叙燕・息戍二篇を爲りて世に行わる。西兵起こりてより、凡そ五六歳、未だ嘗て其の間に在らずんばあらず。故に西事に於て尤も其の詳らかに習う。土兵を訓えて戍卒に代え、以て邉用を减ぜんと欲す。禦戎長乆の䇿と爲す。皆な未だ施爲するに及ばずして元昊臣たり。西兵嚴を解く。師魯も亦た去りて罪を得たり。
現代語訳
尹洙は天下に事が無い時に当たって、一人だけ兵法を論じるのを好んだ。「叙燕」「息戍」の二篇を作って世に行われた。西方の戦が起こってから、およそ五、六年、一度もその中にいなかったことがない。だから西方の事については、とりわけ詳しく通じていた。土着の兵を訓練して駐屯の兵に代え、それで辺境の費えを減らそうとした。異民族を防ぐ長く続く策とした。どれもまだ実施するに至らないうちに、趙元昊が臣と称した。西方の軍は警戒を解いた。尹洙もまた去って罪を得た。
解説
平時に一人だけ兵法を論じていた人の条です。**天下に事が無い時に当たって、一人だけ兵法を論じるのを好んだ。**そして戦が始まると、五、六年ずっと現場にいた。策も具体的です。**土着の兵を訓練して駐屯の兵に代え、辺境の費えを減らす。**長く続く策として立てました。**どれもまだ実施するに至らないうちに、講和が成って軍は警戒を解き、この人も去って罪を得た。**
この章句が説くこと
天下無事の時に当たり独り兵を論ずるを喜ぶ土兵を訓えて戍卒に代え以て邉用を减ぜんと欲す禦戎長乆の策と為す皆な未だ施為するに及ばずして元昊臣たり平時備え長期
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