宋名臣言行録 / 前集巻九・李及
曹瑋久在秦州累章求代真宗問王旦誰可代者旦薦公上即以公知秦州衆皆謂公雖謹厚有行檢非守邉材楊億以衆言告旦旦不答公至秦州將吏心亦輕之㑹有屯駐禁軍白晝掣婦人銀釵於市吏執以聞公方觀書召之使前略加詰問其人服罪公不復下吏亟命斬之復觀書如故將吏皆驚服不日聲譽達京師億聞之復見旦道其事且曰向者相公初用及外廷之議皆恐及不勝其任今及材器乃如此信乎相公知人之明也旦笑曰外廷之議何其易得也夫以禁軍戍邉白晝爲盗於市主將斬之事之常也旦之用及者其意非爲此也夫以瑋知秦州七年羗人讋服邉境之事瑋處之巳盡其宜矣使他人徃必矜其聪明多所變置敗瑋成績旦所以用及者以及重厚必能謹守瑋之規模而巳億由是服旦之識度
新字:曹瑋久在秦州累章求代真宗問王旦誰可代者旦薦公上即以公知秦州衆皆謂公雖謹厚有行検非守邉材楊億以衆言告旦旦不答公至秦州将吏心亦軽之会有屯駐禁軍白昼掣婦人銀釵於市吏執以聞公方観書召之使前略加詰問其人服罪公不復下吏亟命斬之復観書如故将吏皆驚服不日声誉達京師億聞之復見旦道其事且曰向者相公初用及外廷之議皆恐及不勝其任今及材器乃如此信乎相公知人之明也旦笑曰外廷之議何其易得也夫以禁軍戍邉白昼為盗於市主将斬之事之常也旦之用及者其意非為此也夫以瑋知秦州七年羗人讋服邉境之事瑋処之巳尽其宜矣使他人往必矜其聪明多所変置敗瑋成績旦所以用及者以及重厚必能謹守瑋之規模而巳億由是服旦之識度
書き下し
曹瑋、久しく秦州に在り。累章して代を求む。真宗、王旦に問う、誰か代わる可き者ぞと。旦、公を薦む。上、即ち公を以て秦州を知らしむ。衆皆な謂う、公は謹厚にして行檢有りと雖も、邉を守るの材に非ずと。楊億、衆言を以て旦に告ぐ。旦、答えず。公、秦州に至る。將吏の心も亦た之を輕んず。㑹々屯駐の禁軍の、白晝、婦人の銀釵を市に掣する有り。吏、執えて以て聞す。公、方に書を觀る。之を召して前ましめ、略ぼ詰問を加う。其の人、罪に服す。公、復た吏に下さず。亟かに命じて之を斬らしむ。復た書を觀ること故の如し。將吏皆な驚服す。日ならずして聲譽、京師に達す。億之を聞き、復た旦に見えて其の事を道いて且つ曰く、向者、相公、初めて及を用う。外廷の議、皆な及の其の任に勝えざるを恐る。今、及の材器、乃ち此くの如し。信なるかな、相公の人を知るの明なるやと。旦笑いて曰く、外廷の議、何ぞ其れ易く得るや。夫れ禁軍を以て邉に戍り、白晝、盗を市に爲す。主將、之を斬るは事の常なり。旦の及を用うる者、其の意、此が爲に非ざるなり。夫れ瑋、秦州を知ること七年、羗人讋服す。邉境の事、瑋、之に處して巳に其の宜を盡くせり。他人をして徃かしめば、必ず其の聪明を矜りて變置する所多く、瑋の成績を敗らん。旦の及を用うる所以の者は、及の重厚にして必ず能く謹んで瑋の規模を守るを以てのみと。億、是に由りて旦の識度に服す。
現代語訳
曹瑋は長く秦州にいた。たびたび上表して交代を求めた。真宗は王旦に尋ねた。「誰が代われるか」。王旦は公を推薦した。帝はすぐに公に秦州を治めさせた。人々はみな言った。「公は慎み深く厚く、行いに慎みはあるが、辺境を守る材ではない」。楊億が人々の言葉を王旦に告げた。王旦は答えなかった。公が秦州に着いた。将も役人も、心のうちで軽んじた。ちょうど駐屯の禁軍の兵が、真昼に市場で女の銀の簪をひったくった。役人が捕らえて申し上げた。公はちょうど書を読んでいた。その者を呼んで前に出させ、ざっと問いただした。その者は罪に服した。公はあらためて役人に下げ渡さなかった。すぐに命じて斬らせた。そしてまた元のとおり書を読んだ。将も役人もみな驚いて服した。日ならずして評判が都に届いた。楊億はそれを聞いて、また王旦に会ってその事を語り、そのうえ言った。「さきごろ相公がはじめて李及を用いられたとき、朝廷の外の議論はみな、李及がその任に堪えないことを恐れました。いま李及の材と器は、このとおりです。まことに、相公の人を知る明らかさというべきです」。王旦は笑って言った。「朝廷の外の議論は、なんとたやすく出てくるものか。そもそも禁軍が辺境を守っていて、真昼に市場で盗みを働いた。主将がこれを斬るのは、当たり前のことだ。私が李及を用いたのは、そのためではない。そもそも曹瑋は秦州を治めること七年、羌人は恐れ服した。国境の事は、曹瑋が処置してもう適切さを尽くしている。他の者を行かせれば、必ず自分の聡明さを誇って変え置くことが多く、曹瑋の成績を壊すだろう。私が李及を用いたわけは、李及が重厚で、必ず慎んで曹瑋の枠組みを守れるからというだけだ」。楊億はこれによって、王旦の見識と度量に服した。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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説苑・修文春秋に曰く、「壬申、公高寢に薨ず。」傳に曰く、「高寢とは何ぞ?正寢なり。曷為れぞ或いは高寢と言い、或いは路寢と言うか?曰く、諸侯の正寢三つ、一に曰く高寢、二に曰く左路寢、三に曰く右路寢。高寢とは、始めて封ぜられし君の寢なり。二つの路寢とは、體を繼ぐ君の寢なり。其の二つなるは何ぞ?曰く、子父の寢に居らず、故に二寢あり。體を繼ぐ君は世世高祖の寢に居るべからず、故に高寢有り、名づけて高と曰う。路寢其の立つこと奈何?高寢中に立ち、路寢左右す。」と。春秋に曰く、「天王成周に入る。」傳に曰く、「成周とは何ぞ?東周なり。然らば則ち天子の寢奈何?曰く、亦二つの承明あり、體を繼ぎ文を守る君の寢、左右の路寢と曰う。之を承明と謂うは何ぞ?曰く、明堂の後に承くる者なり。故に天子諸侯三寢立ちて名實正しく、父子の義章らかに、尊卑の事別れ、大小の德異なるなり。」
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説苑・建本晋の襄公薨じ、嗣君少く、趙宣子相たり。大夫に謂いて曰わく、「少君を立つれば、多難ならんことを懼る。請う雍を立てん。雍長じ、出でて秦に在り、秦大にして、以て援と為すに足る」と。賈季曰わく、「公子楽に若かず。楽国に寵有り、先君愛して之を翟に仕えしむ、翟是を以て援と為す」と。穆嬴太子を抱きて庭に呼びて曰わく、「先君奚の罪ありや、其の嗣も亦奚の罪ありや。嫡嗣を捨てて立てずして外に君子を求む」と。朝を出でて抱きて宣子に見えて曰わく、「難きを悪みて、故に長君を立てんと欲するも、長君立ちて少君壮なれば、難乃ち至らん」と。宣子之を患い、遂に太子を立つ。
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尚書・伊訓惟れ元祀(げんし)十有二月乙丑、伊尹先王に祠(まつ)り、嗣王を奉じて祗(つつし)みて厥(そ)の祖に見(まみ)えしむ。侯甸(こうでん)の群后咸(みな)在り、百官己を総べて以て冢宰(ちようさい)に聴く。伊尹乃ち明らかに烈祖の成徳を言ひ、以て王を訓(をし)へて曰く、「嗚呼(ああ)、古(いにしへ)の有夏の先后、方(まさ)に厥の徳を懋(つと)め、天災有る罔(な)し。山川鬼神も亦寧(やす)からざる莫(な)く、鳥獣魚鼈(ぎよべつ)に暨(およ)ぶまで咸若(したが)ふ。其の子孫に于(お)いて率(したが)はず、皇天災を降し、手を我が命有るものに仮る。攻を造(はじ)むるは鳴条よりし、朕が哉(はじ)めは亳よりす。惟れ我が商王、聖武を布昭し、虐に代ふるに寛を以てし、兆民允(まこと)に懐く。今王厥の徳を嗣ぐは、初めに在らざる罔し。
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『留魂録』第九条又鮎沢伊太夫は水藩の士にして堀江と同居す。余に告げて曰く、「今足下の御沙汰も未だ測られず、小子は海外に赴けば、天下の事総て天命に付せんのみ。但し天下の益となるべき事は、同志に托し後輩に残し度きことなり」と。此の言大いに吾が志を得たり。吾の祈念を籠むる所は、同志の士甲斐甲斐しく吾が志を継紹して、尊攘の大功を建てよかしなり。吾死すとも、堀・鮎二子の如きは、海外に在りとも獄中に在りとも、吾が同志たらん者願はくは交を結べかし。又本所亀沢町に山口三輶と云ふ医者あり、義を好む人と見えて、堀・鮎二子の事など外間に在りて大いに周旋せり。尤も及ぶべからざるは、未だ一面もなき小林民部の事、二子より申し遣はしたれば、小林の為めにも亦大いに周旋せり。此の人想ふに不凡ならん。且つ三子への通路は此の三輶老に托すべし。
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『墨子』耕柱公孟子曰く、「君子は作らず、術ぶるのみ」と。子墨子曰く、「然らず。人の其れ君子ならざる者は、古の善き者は誅がず、今や善き者は作らず。其の次に君子ならざる者は、古の善き者は遂げず、已に善有れば則ち之を作り、善の己より出でんことを欲す。今、誅ぎて作らざるは、是れ遂ぐるを好まずして作る者に異なる所無きなり。吾れ以為えらく、古の善き者は則ち之を誅ぎ、今の善き者は則ち之を作り、善の益ます多からんことを欲すと」と。
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『講孟余話』公孫丑上 首章是れを以て王者の政をなすは、身を治め家を斉ふるを以て先務とす。身を治め家を斉ふるを先務とするは、事迂濶なる如くなれども、其の法子孫に伝はり、幾世を経ても動揺せざるのみならず、益々興隆する者なり。業を創め統を垂るるは継ぐべきを為すと云ふも此の事なり。豊公の如き非常の大豪傑にて、一世を鼓舞すれども、其の後嗣彼が如し。恐れ多きことなれども、本藩の如きは、洞春公以来大義を重んじ懿親を敦うし、以て今に至る。長防褊小と雖も、万世の基業動揺することなし。此れを以て彼に比せば、孰れか優れる、孰れか劣れる。曾西の才管仲に及ばずと云へども、管仲に比することを欲せざるは是れを以てのみ。噫、是れ王覇の弁なり。

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