宋名臣言行録 / 後集巻三・文彦博
公在成都米價騰貴因就諸城門相近院凡十八處減價糶賣不限其數張榜通衢米價遂減前此或限升斗以糶或抑市井價直適足以増其氣燄而終不能平其價乃知臨事須當有術也
新字:公在成都米価騰貴因就諸城門相近院凡十八処減価糶売不限其数張榜通衢米価遂減前此或限升斗以糶或抑市井価直適足以増其気燄而終不能平其価乃知臨事須当有術也
書き下し
公成都に在り、米價騰貴す。因りて諸城門に近き院、凡そ十八處に就きて價を減じて糶賣し、其の數を限らず。榜を通衢に張る。米價遂に減ず。此より前、或いは升斗を限りて以て糶し、或いは市井の價直を抑う。適ま以て其の氣燄を増すに足りて、終に其の價を平らかにする能わず。乃ち事に臨みて須らく當に術有るべきを知る。
現代語訳
文彦博が成都にいたとき、米の値が高騰した。そこで各城門に近い建物、あわせて十八か所で、値を下げて払い下げ売りをし、その数量を制限しなかった。掲示を大通りに張り出した。米の値はそれで下がった。これより前は、あるいは升や斗で量を限って売り、あるいは市中の値段を抑えつけた。それはかえってその勢いを増すのに役立つだけで、ついに値を落ち着かせることができなかった。そこで、事に臨むにはやり方というものが必要だと分かった。
解説
それまでの手が二つ書いてあります。量を限る配給と、値段の統制です。どちらも良かれと思ってやることですが、結果は同じでした。**それはかえってその勢いを増すのに役立つだけで、ついに値を落ち着かせることができなかった。**足りないという合図を出せば、人は買いに走ります。文彦博がやったのは逆でした。**十八か所で、値を下げて払い下げ売りをし、その数量を制限しなかった。**そして見えるようにしています。**掲示を大通りに張り出した。**いくらでもあると分かった時点で、値は下がりました。
この章句が説くこと
価を減じて糶売し其の数を限らず榜を通衢に張る米価遂に減ず或いは升斗を限りて以て糶し或いは市井の価直を抑う適ま以て其の気燄を増すに足りて終に其の価を平らかにする能わず物価統制
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