宋名臣言行録 / 前集巻一・李昉
公常期王旦為相自小官薦進之公病召旦勉以自愛既退謂其子弟曰此人後日必為太平宰相然東封西祀亦不能救也
書き下し
公常に王旦の相と為らんことを期し、小官より之を薦進す。公病む。旦を召して勉むるに自愛を以てす。既に退きて其の子弟に謂いて曰く、此の人後日必ず太平の宰相と為らん。然れども東封西祀も亦た救う能わざるなりと。
現代語訳
公はかねて王旦が宰相になることを期待し、まだ小さな官のうちから推挙して引き上げた。公が病んだとき、王旦を召して自愛するよう励ました。王旦が退いたあと、子弟に言った。「この人は後日きっと太平の世の宰相となるだろう。それでも東の封禅や西の祭祀は、やはり救えないだろうが」。
解説
自分が引き上げた人の未来を、二段構えで言い当てた条です。**きっと太平の世の宰相になる、それでも東の封禅と西の祭祀は救えないだろう。**真宗が国家の財を傾けて行った一連の祭祀のことです。褒めながら、この人の限界がどこに出るかまで見ています。推挙した相手を手放しで持ち上げない。人を見るとは、良いところと届かないところの両方を先に言えることだ、という記録です。
この章句が説くこと
此の人後日必ず太平の宰相と為らん然れども東封西祀も亦た救う能わざるなり小官より之を薦進す人物眼推挙限界
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