宋名臣言行録 / 後集巻五・彭思永
公為侍御史極論内降授官資之弊以謂斜封非公朝之事仁宗深然之皇祐祀明堂前一日有傳赦語百官皆得遷秩者公方從駕宿景靈宫亟上言不宜濫恩以益僥倖既肆赦果然時張堯佐以妃族進王守忠以親侍帷幄被寵參政缺員堯佐朝暮待命守忠亦求為節度使公抗疏極言至曰陛下行此覃恩無意孤寒獨為堯佐守忠故取悦衆人耳且言妃族秉政内臣用事皆非國家之福疏入仁宗震怒諌官吴奎等為上言其忠上怒解
新字:公為侍御史極論内降授官資之弊以謂斜封非公朝之事仁宗深然之皇祐祀明堂前一日有伝赦語百官皆得遷秩者公方従駕宿景霊宫亟上言不宜濫恩以益僥倖既肆赦果然時張堯佐以妃族進王守忠以親侍帷幄被寵参政欠員堯佐朝暮待命守忠亦求為節度使公抗疏極言至曰陛下行此覃恩無意孤寒独為堯佐守忠故取悦衆人耳且言妃族秉政内臣用事皆非国家之福疏入仁宗震怒諌官吴奎等為上言其忠上怒解
書き下し
公侍御史と爲り、内降の官資を授くるの弊を極論す。以謂えらく、斜封は公朝の事に非ずと。仁宗深く之を然りとす。皇祐、明堂を祀るの前一日、赦の語を傳えて百官皆秩を遷るを得る者有り。公方に駕に從いて景靈宮に宿す。亟かに上言す、宜しく濫恩を以て僥倖を益すべからずと。既に赦を肆べて果たして然り。時に張堯佐は妃族を以て進み、王守忠は親しく帷幄に侍するを以て寵を被る。參政員を缺き、堯佐朝暮に命を待つ。守忠も亦た節度使と爲らんことを求む。公抗疏極言して、至りて曰く、陛下此の覃恩を行うは孤寒に意無く、獨り堯佐・守忠の爲なり。故に衆人を取り悦ばすのみと。且つ言う、妃族の政を秉り内臣の事を用うるは皆國家の福に非ずと。疏入りて仁宗震怒す。諫官吳奎等上の爲に其の忠を言う。上の怒り解く。
現代語訳
彭思永は侍御史となり、宮中から直接に官位を授ける弊害を徹底して論じた。斜封は公の朝廷の行うことではない、と考えたのである。仁宗は深くこれをもっともとした。皇祐年間、明堂を祀る前日、大赦の話が伝わり、百官がみな位階を進められるという者があった。彭思永はちょうど行幸に従って景霊宮に泊まっていた。急いで上言した。「濫りな恩によって僥倖を狙う心を増やすべきではありません」。大赦が発せられると、はたしてそのとおりであった。当時、張堯佐は妃の一族として進み、王守忠は身近に天子の側に侍することで寵を受けていた。参政に欠員があり、張堯佐は朝な夕なに任命を待っていた。王守忠もまた節度使になることを求めていた。彭思永は上疏して言い切り、こう述べるに至った。「陛下がこの広い恩を行われるのは、貧しく寄る辺のない者を思ってのことではなく、ただ堯佐と守忠のためです。だから人々の機嫌を取っているにすぎません」。そのうえで言った。「妃の一族が政を執り、宮中の臣が事に当たるのは、どちらも国家の福ではありません」。上疏が入って仁宗は激怒した。諫官の呉奎らが天子に向かってその忠実さを述べた。天子の怒りは解けた。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
説苑・雜言子石、呉山に登りて四望し、喟然として歎息して曰く、「嗚呼悲しいかな。世に事情に明らかにして人心に合わざる者有り、人心に合いて事情に明らかならざる者有り」と。弟子問いて曰く、「何の謂いぞや」と。子石曰く、「昔者、呉王夫差、伍子胥の言を聴かず、忠を尽くし極めて諫めしも、目を抉られて辜せらる。太宰嚭・公孫雒は、偷かに合し苟くも容れられ、以て夫差の志に順いて呉を伐たしむ。二子は身を江湖に沈められ、頭は越の旗に懸けらる。昔者、費仲・惡來革・長鼻決耳、崇侯虎は紂の心に順い、意に合わんと欲せしも、武王紂を伐ちて、四子は身を牧野に死し、頭足所を異にす。比干は忠を尽くして心を剖かれて死す。今、事情を明らかにせんと欲すれば、目を抉られ心を剖かるるの禍い有らんことを恐れ、人心に合わんと欲すれば、頭足所を異にするの患い有らんことを恐る。是に由りて之を観れば、君子の道狭きのみ。誠に其の明主に逢わずんば、狭道の中、又将に危険閉塞して、従いて出づ可き無からんとす」と。
-
呂氏春秋・貴直①賢主の貴ぶ所は士に如くは莫し。士を貴ぶ所以は、其の直言の為なり。言直なれば則ち枉れる者見ゆ。人主の患いは、枉れるを聞かんと欲して直言を惡む。是れ其の源を障ぎて其の水を欲するなり。水奚に自りてか至らん。是れ其の欲する所を賤しみて、其の惡む所を貴ぶなり。欲する所奚に自りてか來たらん。
-
尚書・太甲下言の汝の心に逆らう有らば必ず諸を道に求め、言の汝の志に遜う有らば必ず諸を非道に求めよ。
-
『韓非子』難言第三范雎は魏に脅(あばら)を折らる。此の十數人は、皆世の仁賢忠良にして道術有るの士なり、不幸にして悖亂闇惑の主に遇ひて死せり。然らば則ち賢聖と雖も死亡を逃れ戮辱を避くる能はざる者は、何ぞや。則ち愚者は說き難ければなり、故に君子は言ひ難きなり。且つ至言は耳に忤(さか)らひて心に倒(もと)る、賢聖に非ざれば能く聽く莫し、願はくは大王之を熟察せよ。
-
史記 管晏列伝方に晏子、荘公の尸に伏して之に哭し、礼を成し然る後に去るは、豈に所謂「義を見て為さざるは勇無き」者か。其の諫説に至りては、君の顔を犯す。此れ所謂「進みては忠を尽くすを思ひ、退きては過ちを補ふを思ふ」者か。仮令ひ晏子をして在らしめば、余之が為に鞭を執ると雖も、忻慕する所なり。
-
呂氏春秋・壅塞①亡國の主は、以て直言す可からず。以て直言す可からざれば、則ち過、道りて聞く無く、而して善、自りて至ること無し。自りて至ること無ければ、則ち壅がる。