宋名臣言行録 / 後集巻一・韓琦
英宗即位已數月初掛服於柩前哀未發而疾暴作大呼語言恐人所不可聞左右皆反走大臣軰駭愕癡立莫知所措公亟投杖於地直趨至前抱入簾曰誰激惱官家且當服藥内人驚散公呼之徐徐方來遂擁上以授之曰皆須用心照管官家再三慰安以出仍戒當時見者曰今日事惟某人見某人見外人未有知者復就位哭處之若無事然歐公歸以語所親曰韓公遇事真不可及
新字:英宗即位已数月初掛服於柩前哀未発而疾暴作大呼語言恐人所不可聞左右皆反走大臣軰駭愕痴立莫知所措公亟投杖於地直趨至前抱入簾曰誰激悩官家且当服薬内人驚散公呼之徐徐方来遂擁上以授之曰皆須用心照管官家再三慰安以出仍戒当時見者曰今日事惟某人見某人見外人未有知者復就位哭処之若無事然欧公帰以語所親曰韓公遇事真不可及
書き下し
英宗即位して已に數月、初め服を柩前に掛け、哀未だ發せざるに疾暴かに作り、大呼して語言すること人の聞く可からざる所なり。左右皆反り走り、大臣輩駭愕して癡立し、措く所を知る莫し。公亟かに杖を地に投じ、直ちに趨りて前に至り、抱きて簾に入れて曰く、誰か官家を激惱せしむるや。且く當に藥を服すべしと。内人驚き散ず。公之を呼ぶに、徐徐として方に來たる。遂に上を擁して以て之に授けて曰く、皆須らく心を用いて官家を照管すべしと。再三慰安して以て出づ。仍りて當時の見し者を戒めて曰く、今日の事は惟だ某人見、某人見るのみ。外人未だ知る者有らずと。復た位に就きて哭し、之に處すること事無きが若く然り。歐公歸りて親しむ所に語りて曰く、韓公事に遇うこと真に及ぶ可からずと。
現代語訳
英宗が即位して数か月、はじめ喪服を柩の前に掛け、哀悼の礼がまだ始まらないうちに病が突然起こり、大声で叫んだ言葉は人が聞いてよいものではなかった。側の者はみな逃げ出し、大臣たちは驚き呆けて棒立ちになり、どうしてよいか分からなかった。韓琦はただちに杖を地に投げ捨て、まっすぐ走り寄って前に至り、抱きかかえて簾の内へ入れて言った。「誰が陛下をお怒らせしたのか。ひとまず薬をお飲みいただこう」。奥仕えの者たちは驚いて散っていた。韓琦が呼ぶと、ようやくゆっくりと出て来た。そこで天子を抱えて彼女たちに預けて言った。「みな心を用いて陛下をお世話するように」。再三なだめてから退出した。そのうえで、その場に居合わせた者を戒めて言った。「今日の事は、某と某が見ただけだ。外の者にはまだ知る者がない」。そしてまた自分の席に戻って哭し、何事もなかったかのように振る舞った。欧陽脩は帰って親しい者に語った。「韓公の事に当たりようは、まことに及びもつかない」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『新論』序論今、天下の為に其の大計を論ずれば、天下の人、愕然として相顧み、驚怪せざるは莫し。旧聞に溺れて故見に狃るればなり。兵法に曰く、「其の来らざるを恃むこと無く、吾の以て之を待つ有るを恃め。其の攻めざるを恃むこと無く、吾の攻むべからざる所有るを恃め」と。然らば則ち吾をして治化洽浹し、風俗淳美、上下義を守り、民富み兵足り、強寇大敵と雖も之に応じて遺算無からしむれば則ち可なり。若し猶ほ未だしくんば、則ち其の自ら遑あり自ら逸する者、果して何をか恃む所ぞや。而るに論者皆謂ふ、「彼は蛮夷なり、商舶なり、漁船なり、深患大禍を為す者に非ず」と。是れ其の恃む所の者は、来らざるなり、攻めざるなり。恃む所彼に在りて我に在らず。如し吾の之を恃む所以の者と攻むべからざる所の者とを問へば、則ち茫乎として之を能く知る莫きなり。嗟夫、天地の誣罔を免るるを見んと欲すとも、将た何れの時にか之を期せんや。
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葉隠・聞書第一大難大変(だいなんたいへん)に逢うても動転せぬといふは、まだしきなり。大変に逢うては歓喜踊躍(かんきゆやく)して勇み進むべきなり。一関(いっかん)越えたる所なり。「水増されば船高し。」といふが如し。
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『新論』國體上夫れ英雄の天下を鼓舞するや、唯民の動かざるを恐れ、庸人の一時を糊塗するや、唯民の或は動くを恐る。故に務めて昇平を粉飾し、虜をして眼前に陸梁せしむるも、猶ほ称して漁商と為し、上下相蒙蔽して、適に以て寇を玩び禍を畜ふるに足る。而して高拱端睨し、糊塗して自ら智とし、将に相率ゐて自ら不測の淵に趣かんとす。亦憫むべきなり。苟くも稍心性智識を存する者は、誰か声を呑みて窃かに之を嘆ぜざらんや。今幕府断然として天下に明令し、虜を見れば必ず之を摧かしめ、公然として天下と之を同仇す。而して令布くこと一日、天下智愚と無く、臂を攘ひて令に趨かんと欲せざるは莫し。天下人心の磨滅すべからざること此くの如し。夫れ方今天下に封建の勢有る者は、固より太祖の治を制する所以なり。東照宮の忠孝を以て基を立つる者は、天祖の彝訓を垂るる所以なり。苟くも能く人心の磨滅すべからざる者に因りて、之が規制を立て、神聖の天下を経綸する所以の意に原づき、土地を経し人民を制し、君臣の義を正し、父子の親を敦くし、天下を範囲して、以て一身と為さば、豈甚だ為し難からんや。此れ乃ち千載の一時、必ず失ふべからざるの機なり。臣是を以て弊の宜しく革むべき者を審かにせんと欲して、時勢の変に眷眷たらざるを得ざるなり。
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『墨子』七患子墨子曰く、國に七患有り。七患なる者は何ぞ。城郭溝池、守る可からずして、宫室を治む、一の患なり。邊寇、境に至るも、四鄰救う莫し、二の患なり。先ず民力を無用の功に盡くし、無能の人に賞賜し、民力、無用に盡き、財寳、侍客に虚し、三の患なり。仕うる者は祿を待ち、游ぶ者は反るを思い、君は法を脩めて臣を討ち、臣は懾れて敢えて拂らわず、四の患なり。君、自ら以て聖智と為して事を問わず、自ら以て安彊と為して守備無く、四鄰、之を謀るも戒を知らず、五の患なり。言う所は忠ならず、忠とする所は信ならず、六の患なり。畜え種うる菽粟、以て之を食らわすに足らず、大臣、事を治むるに足らず、賞賜は喜ばしむる能わず、誅罰は威らしむる能わず、七の患なり。七患を以て國に居らば、必ず社稷無からん。七患を以て城を守らば、敵至りて國傾かん。七患の當たる所、國に必ず殃有り。
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『新論』國體中夫れ既に天下を弱くして、天下弱し。黔首を愚にして黔首愚なり。弱にして且つ愚なれば、則ち自ら動揺せんと欲すとも得んや。故に天下の変無き所以の者は、一言にして尽くすべし。曰く、戦を畏るるのみ。歴代の史伝の紀す所、一語有りて戦を畏ると曰へば、則ち豎子と雖も其の弱国為るを知る。堂堂たる用武の邦を挙げて、反つて狼顧畏戦の俗と為る、亦羞づべからずや。任那の守らざる、渤海の貢せざる、亦既に久し。而して蝦夷の諸島の如きも、亦日に蚕食に就き、内地と雖も、一水の外は、直ちに虜人の巣窟と為る。所謂先王は日に国を辟くこと百里、今や日に国を蹙むること百里なる者、独り周人の嘆く所のみならず。日に蹙まるの勢に処りて、日に辟くの虜を待ち、戦を畏るるの俗を用ゐて、以て百戦の寇に抗す。悪んぞ寒心せざるを得ん。
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『新論』國體中論者徒に治強の跡を見て、衰弱の勢を忘れ、頑然として視ること猶文禄・慶長の旧のごとし。何ぞ其れ惑へるや。今虜は犬羊の性、与に長短を較ぶるに足らずと雖も、而も其の俗残忍にして、日に干戈を尋ね、勢、其の民を愚弱にして以て自ら国を立つるを得ず。故に闔国皆籍して兵と為すべく、又海外の諸蛮を徴役す。未だ侮りて以て寡と為すべからざるなり。各国戦争し、民兵に習ふ。未だ侮りて以て弱と為すべからざるなり。妖教を用ゐて以て其の民を誘ひ、民心皆一にして、以て戦ふに足る。巨艦大砲は固より其の長技にして、以て人を嚇すに足る。是に由りて毎に海上に雄視し、其の呑噬を逞しくす。未だ侮りて以て愚と為すべからざるなり。而して今之に応ぜんと欲するに、豈に徒に自ら愚にし自ら弱くするの余謀を恃み、安坐高枕して変通する所無かるべけんや。民を愚にし兵を弱くするは、治を為すの奇策なりと雖も、而も利の在る所、弊も亦之に随ふ。之を矯めざるを得ず。今幕府の議、既に虜を擯くに決す。則ち寡を転じて衆と為し、弱を更めて強と為すは、其の勢の已むを得べからざる者なり。

人生を、一行の式にしてみた。
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