宋名臣言行録 / 後集巻十一・范純仁
公疾革精識不亂諸子侍側口占遺表凡八事命門生李之儀次第之
新字:公疾革精識不乱諸子侍側口占遺表凡八事命門生李之儀次第之
書き下し
公疾革まるも精識亂れず。諸子側に侍す。口占して遺表すること凡そ八事。門生李之儀に命じて之を次第せしむ。
現代語訳
公は病が重くなったが、意識と判断は乱れなかった。子らがそばに侍った。口で述べて遺表とすること、あわせて八箇条。門人の李之儀に命じて、それを順序立てさせた。
解説
二十七字です。書けない状態でした。目は前の年に失われています。それでも八つを口で述べました。**口で述べて遺表とすること、あわせて八箇条。**思いつくままではありません。八つに分かれている。そして仕上げを人に任せました。**門人の李之儀に命じて、それを順序立てさせた。**中身は自分で決め、並べ方は任せる。最後まで、できることとできないことを分けています。
この章句が説くこと
公疾革まるも精識乱れず諸子側に侍す口占して遺表すること凡そ八事門生李之儀に命じて之を次第せしむ臨終遺表
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