宋名臣言行録 / 後集巻二・富弼
富公之客李偲問公曰公治平初進戸部尚書屢辭今進司徒一辭而拜何也公曰治平初乃弼自辭官今日潞公皆遷弼豈敢堅辭妨他人也盖潞公與荆公論政事不合出判北京七年不召自此眷禮復厚矣
新字:富公之客李偲問公曰公治平初進戸部尚書屡辞今進司徒一辞而拝何也公曰治平初乃弼自辞官今日潞公皆遷弼豈敢堅辞妨他人也盖潞公与荆公論政事不合出判北京七年不召自此眷礼復厚矣
書き下し
富公の客李偲、公に問いて曰く、公治平の初め戸部尚書に進められて屢ミ辭す。今司徒に進められて一たび辭して拜するは何ぞやと。公曰く、治平の初めは乃ち弼自ら官を辭するなり。今日は潞公も皆遷る。弼豈に敢えて堅く辭して他人を妨げんやと。蓋し潞公は荊公と政事を論じて合わず、出でて北京を判し、七年召されず。此れより眷禮復た厚し。
現代語訳
富弼の客である李偲が、富弼に問うた。「公は治平のはじめ、戸部尚書に進められてたびたび辞退なさいました。いま司徒に進められて、一度辞退しただけで拝命されたのはなぜですか」。富弼は言った。「治平のはじめは、弼が自分の官を辞退したのだ。今日は文彦博もみな昇進する。弼がどうして強く辞退して、他人の妨げになってよいものか」。思うに文彦博は王安石と政事を論じて合わず、外に出て北京の長官となり、七年召されなかった。これ以後、天子の待遇はふたたび厚くなった。
解説
同じ人が、あるときは断り、あるときは受けています。その分かれ目が明快でした。治平のはじめは、弼が自分の官を辞退したのだ。今日は文彦博もみな昇進する。一人分の昇進なら、断っても誰も困りません。まとめての昇進だと、一人が固辞すれば全体が止まります。弼がどうして強く辞退して、他人の妨げになってよいものか。しかも、その相手は七年放っておかれていた人でした。自分の潔癖が他人の順番を止めるとき、潔癖のほうを引っ込めています。
この章句が説くこと
公治平の初め戸部尚書に進められて屢ミ辞す公治平の初め戸部尚書に進められて屡ミ辞す今司徒に進められて一たび辞して拝するは何ぞや治平の初めは乃ち弼自ら官を辞するなり今日は潞公も皆遷る弼豈に敢えて堅く辞して他人を妨げんや辞退
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