宋名臣言行録 / 後集巻三・文彦博
至和中陳執中為相臺官趙抃等言執中無材行不可任歐陽脩亦上書請退執中議久不决左右怪仁宗少遊燕黙有所思焦勞見於色居月餘如此因問上曰陛下得非思代陳執中者乎上曰然左右乃曰代執中者易得耳何至此耶上曰此老子却可慢人久之始用文富代之朝議皆謂得人
新字:至和中陳執中為相台官趙抃等言執中無材行不可任欧陽脩亦上書請退執中議久不決左右怪仁宗少遊燕黙有所思焦労見於色居月余如此因問上曰陛下得非思代陳執中者乎上曰然左右乃曰代執中者易得耳何至此耶上曰此老子却可慢人久之始用文富代之朝議皆謂得人
書き下し
至和中、陳執中相と爲る。臺官趙抃等言う、執中に材行無し、任ず可からずと。歐陽脩も亦た上書して執中を退けんことを請う。議久しく決せず。左右怪しむ、仁宗遊燕を少なくし、黙して思う所有り、焦勞色に見わるるを。居ること月餘、此くの如し。因りて問う。上に曰く、陛下は陳執中に代わる者を思うに非ざるを得んやと。上曰く、然りと。左右乃ち曰く、執中に代わる者は得易きのみ。何ぞ此に至らんやと。上曰く、此の老子は却って人を慢る可しと。之を久しくして始めて文・富を用いて之に代う。朝議皆人を得たりと謂う。
現代語訳
至和年間、陳執中が宰相であった。御史台の趙抃らが言った。「執中には才も行いもありません。任せるべきではありません」。欧陽脩もまた上書して執中を退けるよう願った。議論は長く決まらなかった。側近たちは、仁宗が遊興を減らし、黙って何かを思案し、焦りと苦労が顔色に出ているのを不審に思った。ひと月あまり、こうであった。そこで尋ねた。天子に「陛下は陳執中に代わる者をお考えなのではありませんか」と。天子は「そうだ」と言った。側近はそこで言った。「執中に代わる者なら、たやすく見つかります。どうしてそこまで悩まれるのですか」。天子は言った。「この老いぼれは、それでも人を押さえつけることができるのだ」。長くたって、はじめて文彦博と富弼を用いてこれに代えた。朝廷の議論は、みな人を得たとした。
解説
無能だという弾劾は、御史からも欧陽脩からも来ていました。それでも一か月以上、天子は動きません。側近の見立ては簡単でした。**執中に代わる者なら、たやすく見つかります。どうしてそこまで悩まれるのですか。**天子の答えが、悩みの正体でした。**この老いぼれは、それでも人を押さえつけることができるのだ。**才も行いもない。しかし場が締まっている。その一点だけを持っている人を外すと、代わりに来た人がそれを持っているとは限らない。だから時間がかかりました。
この章句が説くこと
台官趙抃等言う執中に材行無し任ず可からず仁宗遊燕を少なくし黙して思う所有り焦労色に見わる執中に代わる者は得易きのみ何ぞ此に至らんや此の老子は却って人を慢る可し人事交代
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尉繚子・十二陵悔いは疑わしきを任ずるに在り。
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