宋名臣言行録 / 後集巻一・韓琦
公既解相印王丞相曰為古人所未嘗任大臣所不敢天下以為名言歐公亦曰進退之際從容有餘德業兩全謗讒自止過周公逺矣
新字:公既解相印王丞相曰為古人所未嘗任大臣所不敢天下以為名言欧公亦曰進退之際従容有余徳業両全謗讒自止過周公遠矣
書き下し
公既に相印を解く。王丞相曰く、古人の未だ嘗てせざる所を爲し、大臣の敢えてせざる所に任ずと。天下以て名言と爲す。歐公も亦た曰く、進退の際、從容として餘り有り。德業兩つながら全く、謗讒自ら止む。周公に過ぐること遠しと。
現代語訳
韓琦が宰相の印を返上した。王丞相は言った。「古人がかつてしなかったことを為し、大臣があえてしなかった役目に就いた」。天下はこれを名言とした。欧陽脩もまた言った。「進退のきわに、ゆったりと余裕がある。徳と業績の両方が全うされ、そしりや讒言はひとりでに止む。周公にまさること遠い」。
解説
辞めたあとに贈られた二つの言葉です。王丞相は在職中の仕事を言いました。古人がかつてしなかったことを為し、大臣があえてしなかった役目に就いた。欧陽脩が見たのは、辞め方のほうでした。進退のきわに、ゆったりと余裕がある。そして因果を一つ置いています。そしりや讒言はひとりでに止む。去り際に余裕がないと、残った不満が誹謗の材料になります。争って辞めれば、辞めたあとも争いが続く。ゆっくり退いた人には、続ける相手がいません。
この章句が説くこと
古人の未だ嘗てせざる所を為し大臣の敢えてせざる所に任ず進退の際従容として余り有り徳業両つながら全く謗讒自ら止む周公に過ぐること遠し進退退き際
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