宋名臣言行録 / 後集巻一・韓琦
公往來塞下勤苦忘寢食期有以報上出按屯至涇原聞元昊乞和公諭諸將曰無約而降者謀也宜益備遽調兵兵未集賊果入鈔山外公指圖授諸將曰山間狹隘可守過此必有伏或致師以怒我或為餌以誘我皆無得輙出待其歸且惰也邀擊之而禆將任福王仲寳狃小勝數違節度公檄之曰違節度有功亦斬福猶進兵遇伏遂戰死疾公者乞置公大罪後大帥使收餘兵得檄福衣帶間封上之朝廷知罪在諸將止左遷右司諌知秦州
新字:公往来塞下勤苦忘寝食期有以報上出按屯至涇原聞元昊乞和公諭諸将曰無約而降者謀也宜益備遽調兵兵未集賊果入鈔山外公指図授諸将曰山間狭隘可守過此必有伏或致師以怒我或為餌以誘我皆無得輙出待其帰且惰也邀擊之而禆将任福王仲寳狃小勝数違節度公檄之曰違節度有功亦斬福猶進兵遇伏遂戦死疾公者乞置公大罪後大帥使収余兵得檄福衣帯間封上之朝廷知罪在諸将止左遷右司諌知秦州
書き下し
公塞下を往來し、勤苦して寢食を忘れ、以て上に報ゆる有らんことを期す。出でて屯を按じ、涇原に至る。元昊の和を乞うを聞く。公諸將に諭して曰く、約無くして降る者は謀なり。宜しく益ミ備うべしと。遽かに兵を調う。兵未だ集まらざるに、賊果たして山外に入りて鈔す。公圖を指して諸將に授けて曰く、山間狹隘なるは守る可し。此を過ぐれば必ず伏有らん。或いは師を致して以て我を怒らしめ、或いは餌を爲して以て我を誘わん。皆輙く出づるを得る無かれ。其の歸りて且に惰らんとするを待ちて、之を邀擊せよと。而るに禆將の任福・王仲寳、小勝に狃れて數ミ節度に違う。公之に檄して曰く、節度に違わば功有るも亦た斬らんと。福猶お兵を進め、伏に遇いて遂に戰死す。公を疾む者、公を大罪に置かんことを乞う。後、大帥、餘兵を收めしむるに、檄を福の衣帶の間に得たり。封じて之を上る。朝廷、罪の諸將に在るを知り、止だ右司諫に左遷して秦州を知らしむ。
現代語訳
韓琦は塞のあたりを往き来し、苦労を重ねて寝食を忘れ、天子に報いるところがあろうと期していた。出て陣を見回り、涇原に着いた。元昊が和を乞うたと聞いた。韓琦は諸将に諭した。「約束もなく降ってくるのは謀である。いっそう備えるべきだ」。急いで兵を整えた。兵がまだ集まらないうちに、敵ははたして山の外に入って掠奪した。韓琦は地図を指して諸将に授けた。「山あいの狭いところは守れる。ここを過ぎれば必ず伏兵がいる。あるいは軍を差し向けてこちらを怒らせ、あるいは餌を置いて誘うだろう。みな、みだりに出てはならない。敵が帰ろうとして気の緩むのを待って、迎え撃て」。ところが副将の任福と王仲宝は、小さな勝ちに慣れて、たびたび指令に背いた。韓琦は書面を送って言った。「指令に背けば、功があっても斬る」。任福はなお兵を進め、伏兵に遭ってついに戦死した。韓琦を憎む者は、韓琦を大罪に処すよう願い出た。後に大将が残った兵を収容させたとき、その書面が任福の衣の帯のあいだから見つかった。封じて差し上げた。朝廷は罪が諸将にあることを知り、韓琦を右司諫に落として秦州の知事にとどめた。
解説
この章句が説くこと
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